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ブラインドからのぞき見た世の中 : March 19, 2012 @ 13:57

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.60『ジャーナリズムとナショナリズム-その後』



アレから一年が経ちました。


それぞれの被災地は人の心は進んでいても、実際の街の再生はまだまだ進んでいない状態のようです。

まあ、仕方がないといえば仕方がないですが、でもそれだと生活の基盤がたてなおせないですもんね。

あと、家族や友人を突然失った方の深い悲しみは、まだまだつづいている、いやずっとつづくのでしょうね。
心のケアもなかなかままならない状況は、震災直後の状況とあまり変わっていない、むしろ悪化しているのかもです。

なんにせよ時間が、時間だけが解決してくれるコトもありますので、それは原発事故同様長い月日が掛かってしまいそうです。

なかなか難しい状態がつづいていますね。


さて、コチラの題「ジャーナリズムとナショナリズム」は、2011年4月14日にアップしたコラムなのですが、アレから一年が経ち、世の中のメディアはどのように変化してきたのでしょうか?


先日、フリーのアナウンサー古館伊知郎氏が3.11に放送された某番組で、降板覚悟で「原子力村」に触れていました。

彼は個人になっても徹底的に追及すると、宣言していましたね。

ぜひ、そうしてほしいものです。
個人的に応援させていただきますよ。


一年経ったところで、原発問題に関連する放送自体は少なくなったものの、各局とも内容がだいぶ濃くなってきたような気がします。

とくにNHKは、深夜帯に80年代に放送された原発関連の特番をアーカイヴで放送していたり、新しい番組でもわりとキチンとジャーナリズムに徹した内容を放送しているような気がします。
クライアントが国民ですからね、企業との”しがらみ”が少ない分当たり前といえば当たり前ですけれど。
それらを観てみると、当時から指摘されていた問題点が、いまのいまも変わっておらず、しかも今回の福島第一原発事故でさらに明るみに出たという感じだということが分かりました。
なんだ、30年以上経っても何の進展はなかったんですね。


最近の雑誌関連も、かなりジャーナリズムに徹しているものがあます。

『AERA』なんかは「放射能がくる」表紙問題のこともあり、最初からジャーナリズムをトバしてましたね。
当時は、不安を煽ったという理由で、謝罪文なんかを出させられていましたけれど。
しかし、結局、不安は的中したにもかかわらず、なんの評価もされないってどういうことなんでしょうかね?

原発事故当時は、放射性物質問題に触れるだけでタブーみたいな風潮だったにもかかわらず、最近はけっこう触れているメディアが増えたような気がします。

いろんな規制がユルくなったのか、、、まあ、もう隠しきれないということなんでしょうね。

いまのように国や社会に疑問を投げかけるのが、メディアの役割だと思います

当時は、メディアにいろいろ疑問点を持っていたワタクシですが、このところはある程度共感している部分もあります。


とにかく、その報道が命を救ったりする。

そこだけは変わらないし、それがジャーナリズムなんですよ。


みなさんは、最近の報道に関してどのように感じていますか。



吉田拓郎&かまやつひろし「シンシア」


旅路 良



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