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ブラインドからのぞき見た世の中 : October 11, 2013 @ 00:50

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.98『ゲンロンと自由』



先日、京都地裁で、ちょっと興味深い裁判の判決が下りました。


京都朝鮮学園が、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などを訴えた訴訟で、
京都地裁は「著しく侮蔑的な発言を伴い、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」とし、
学校の半径200メートルでの街宣禁止と約1200万円の賠償を命じた、

という、
差別的、侮蔑的な発言、いわゆる”ヘイトスピーチ”に関するはじめての裁判的な結果が出たワケです。

京都地裁は、”ヘイトスピーチ”というコトバはつかわなかったものの、
差別的発言、侮蔑的な発言という表現なので、そういうコトですよね。


そもそも、この”ヘイトスピーチ”というもの。

最近、WEBやテレビ、新聞などでも話題になりはじめていますが、
このところ問題になっているのは、
大阪の鶴橋や東京の新大久保など、おおくの在日コリアンが暮らす地域で、
「殺せ」や「出て行け」などの侮蔑的な表現をつかって呼び掛ける街頭宣伝活動。

YOU TUBEなどの動画共有サービスには、その活動の様子などがアップされていますが、
聞くに絶えないコトバの怒号が飛び交い、
見るに絶えないコトバが書かれたプラカードのかずかず。

文化的な表現のデモというよりは、
なんとも暴力的な、、、一種の暴動にちかいものを感じてしまいます。


今回の京都の事件では、被告側は学校の門の外から拡声器を使用し、
「朝鮮学校を日本からたたき出せ」とか「スパイの子ども」などと、
怒号をあげていたワケですが、
当然、子どもたちにはまる聞こえ。

フツーの子どもなら、コワいとかおもうだろうし、
ヒドいときにはトラウマになってしまいますよね。

子どもには罪はないですから。


たしかに、「表現の自由」「ゲンロンの自由」と言ってしまえば、
そうなのかもしれません。


コトバをあつかっている人間としては、
この「表現の自由」や「ゲンロンの自由」は、
もちろん守られないといけないコトだと思います、、、よ。

だけど、”自由”のなかにもやはりマナーやモラルというものがあるのでは。


憎悪からは、平和は生まれませんからね。

相手への憎悪は、相手からも憎悪で返ってくる。


今回の件がキッカケで、
今後、そういった”ヘイトスピーチ”関連には制限がかかるのかもしれません。

いいコトのように聴こえますが、
残念ながら我々の”自由”のひとつが無くなってしまったのはたしか。

われわれが、モラルやマナーを自覚するための代償なのかもしれませんが、
小さいけど、大きな代償です。


「ゲンロンの自由」は守られるべきだけれど、『ゲンロン』は自由ではない。


みなさんは、どのように考えますか?




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旅路 良



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