ブラインドからのぞき見た世の中 : January 9, 2014 @ 12:37
ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.104『半径5メートル』
あけましておめでとうございます。
2014年も、どうぞよろしくお願いいたします。
と、いいつつも、
いやー、2013年の末からすでにいろいろなモノがボンヤ〜ッとしてますね。
カラになったままの都知事のイス、
6年後のオリンピック、
日本版安全保障いわゆるNSC、
そして国民ナンバー制(マイナンバー制)の導入などなど。
すべてがダラーとベルトコンベアー式に決まってしまい、
もうナニがナンだか。
しかし、国というおおきな単位では、さまざまな”動き”を、、、
もしかして”動き”だけなのかもですが、見せはじめているってコトなんでしょうね。
それがいい”動き”なのか、わるい”動き”なのか、
現状まったくわかっていませんが。
それにしても、プチバブル的なアベノミクス。
2014年は大丈夫なのでしょうか?
大のつく企業単位ではゆっくりとビミョーに右肩に上がっているようですが、
われわれのレベル、たとえば家族とか、個人とかの単位だと、
残念ながらあまり明るい話は聞かないです。
もちろん「これから”上から”おりてくるんだ!」といわれては、
そうなのかもしれませんが。。。
ただ、この単位でイイ話を聞かないってことは、
あまりイイ傾向ではないのかなと。
国という単位は、
結局は市や村などの行政、地域、企業、家、家族、
そして個人からの集合で成り立っていますから、
逆末端の個人の単位でイイ話を聞かないってことは、
国→個人という流れのなかで、
ドコかがつまっている、というコトなんだとおもいますけれどね。
同様に個人→国という逆の流れもあります。
いま現在の国の状況が、自分勝手にすすんでいる状態というのは、
もしかしたら、こんなちょっとした小さなコトからはじまっているのかもしれません。
とある映画館での出来事。
先日、ある映画(3Dで値段が普通よりもちょっと高い!)を観ていたとき。
映画の物語のなかでいちばん重要なシーンになりかけた、そのとき!
となりに座っていたオトコが、
おもむろにケータイメールをやりはじめました。
とにかくまぶしいし、気が散るワケで、
意を決して、ケータイを切るように注意しました。
なんで、コッチが意を決する必要があるのかわかりませんが。。。
とはいえ、わざわさ2,200円も支払って、
彼のケータイメール早打ちショウを観に来たワケではないのでね。
また、コレは別の映画館でのはなし。
映画がはじまって数分後、
途中から入ってきた若いカップル。
当たり前のことながら上映中の館内は暗く、
さらに映画自体もちょっと光の少ない内容で、
館内はほぼほぼ真っ暗でした。
つまり、真っ暗すぎて席が空いているのか、わからないという状態。
すると、そのカップルの彼女の方が、
ナニを血迷ったか、おもむろにケータイのカメラ用のライトをつけて、
席をさがしはじめました。。。
席の後ろからライトを当てているならまだしも(ソレも許せないですけれど)、
前の方からもライトを当てて、空席をさがしだす始末。
彼らからは、結構、はなれた場所にいたのですが、
それでもかなりまぶしい状態でした。
ちかくにいたお客さんに怒られて、
あわててライトを消していましたが。。。
しかし、彼らはいったいナンなんですかね。
すこし考えれば、
その行為が映画を観ているヒトにとってかなり迷惑なコトだと、
わかるような気がするんですけれど。
まあ、愚問です。
ひとの意志よりも、自分の意志の方が前に出ちゃうんでしょうね。
「メールをみたい!」、「座りたい!」。
原因はわかりませんが。
それにしても、最近の映画館は、
上映の途中でケータイを見るヒトがおおすぎです。
いちばん最悪なのは、FacebookなどのSNSサイトなどのネットをやるヒト。
映画館に来る必要があったのか。。。
飽きたなら、外に出て、ケータイを見てほしいものです。
一応、「上映中はケータイは切って!」と館内にもはり出されているわけですから。
たまーに、試写会でもそういうヒトがいるのが残念でなりません。
地震など、緊急の場合はもちろん別ですよ。
彼らには、まわりにヒトがいることすら見えていないのでしょうか。
人の日常のセカイ感というのは、
半径5メートルだと、一般的にいわれています。
肉眼でパッと見える範囲。
その範囲のことだけが、セカイのすべてにおもえてしまうらしいです。
もちろん錯覚ですし、ヒトにもよりますけどね。
映画館は、暗くてまわりが見えない分、
さらに自分のセカイが狭くなるんでしょうね。
自分と意識しているツレだけ、もしくは自分ひとりだけのセカイ。
ほぼほぼ、ひとりで家にいる感覚ってコトです。
しかし、顔をあげてよくみてみれば、
ヒトがいっぱいいる場所なんですけれどね。
映画館といえど小さい社会(コミュニティ)なワケですよ。
その単位の社会ですら、自分のエゴを出してしまうヒトがおおいってコトですから、
それが規模が大きくなれば、会社だったり、地域だったり、
市や村などの行政だったり、都道府県だったり、
最終的に国という単位へつながるだけのハナシなんですけどね。
ちいさな個人の束が国、という単位なだけですから。
2014年になったとしても、
見た目だけで論じていた紀元前の頃の『地球平面説』の時代と、
あまり変わりはないってコトなんでしょうな。
別に「半径5メートル説」がわるい、というワケではないんです。
最近、なかなか聞かなくなったコトバですが、
「互譲互助の精神」というのがあって、
いわゆる、”お互いさま”ということなんですけれど。
お互いがお互いにちょっとした気づかいをすれば、
それぞれが、それぞれの5メートル以内のヒトにちょっとした気づかいをすれば、
すべてが問題ないコトなんですけれどね。
リアルな世界において、ソコだけが自分だけの別セカイ!
なーんていうコトはないんですから。
それがひろがっていけば、
世の中のいろいろなモノが変わってくるのかなーなんておもいますが、
みなさんは、どう考えますか?
かく言うワタクシも、たまーにセカイが狭くなるトキがありますのでね、
そのトキは5メートル以内の方、お願いしますネ。
青葉市子「外は戦場だよ」
旅路 良
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