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ブラインドからのぞき見た世の中 : March 13, 2014 @ 15:55

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.108『自立と決断』



3.11から3年が経ちました。


もしかしたら、
福島の中通り方面のヒトにとっては、
3.11よりも3.12の方が、
震災、、、いや人災はリアルなのかもしれませんがね。


この3年、ナニが変わって、ナニが変わらないのか。

そんな疑問がさまざまなメディアで論議されていますが、
変わったモノなんてたくさんあるし、
変わらないものもたくさんあったりします。


しかし、変わらないモノを追い求めてしまうのが、
ヒトの”性”なんでしょうね。

まさに現在の復興計画なんて、
変わらないモノをもとめてしまった結果だとおもいます。


それにしても、
今後の復興は、
どうなってしまうのでしょうかね。

とあるデータによると、避難した住民が、
「もどりたくない」「もどらない」
という意見がでている地域もあります。


つまり、街としては再生したとしても
急激な過疎化で、
経済をはじめ、
さまざまなモノがまわらないという状況におちいる、
そんな可能性がでてきたってコトです。

となると、こんどは
「街を無理に元にもどそうとする復興に意味があるのか」
というあらたな疑問にぶつかりますよね、当然。


街を元に戻したい、
元の街に住みたい、というのは、
おそらく震災直後の住民の意見なんでしょうけれど、
そこから3年も経ってしまうと、
それぞれの生活状況の変化なども生じてしまいます。

それにやはりヒトのココロも変わってしまうワケで。。。

まあ、当たり前ですけれど。


状況はコク一刻と変化していますが、
それについていけていない、復興計画。


行政は、国に予算をもらうために、
時間をかけて計画を提案して、
時間がかかって予算がおりるシステムなので、
なかなかそういった住民の状況に応じた復興事業計画は
カジトリがむずかしいのが現状のようです。

実際に、復興計画におけるさまざまな摩擦が生じているコトは、
ニュースなどをみていればあきらかですから。

中央集権型復興のいちばんダメな部分が、
ココにきてあらわになってしまったのかなとおもいます。

そのタメに、さまざまなヒトたちが困惑して、翻弄されている状況。


まったくもってリアリティのない復興がススんでいるワケですよ。

それは復興といえるのでしょうかね。


それに、どうも街を元にもどすコトだけが”復興”、
みたいなコトになっているような気がします。


変わらないモノがいいモノというのは、
時と場合によるのでは。

本来ならば、変わらなくてよかったハズなんですけれどね、
もう仕方がないとおもうしかない、のかな、、、ですよ。


それと、若い人たちがナニを求めているのか、
もっとそういう意見をきくベキです。

なぜなら、この先30年とか、60年とか、
生きつづけている確立が高いのは彼らですから。

ソコが欠落しているのが、
たぶんいまの復興計画のように感じます。

ちなみに、とある津波被害を受けた街では、
高校生の復興案を取り入れたとか。

そういう、あたらしい試みをどんどんしていかないと、
街を元にもどす方向だけに力がいってしまい、
今回みたいに時間ばかりがかかってしまうワケですよ。

限界もありますからね。


それに、残念ながら現在の中央集権型の復興計画だと、
結局のところ人任せな復興でしかないとおもいます。

それは福島の除染計画もおなじ。


もうそろそろ、そういった人任せな復興ではなく、
自分たち自身の手でどうやって自立するか、
その方法を考えた方がいい時期にきているのかもですね。


ココで必要になってくるのは、
認めて、あきめる、という”決断”だとおもいます。

それは悪いコトではないとおもいますよ。

ソコを決断しなければ、先にススめないワケですから。


そのとき、そのときでの自分の判断に、自信をもって決断すればいいワケで、
それが最終的に自立につながっていくのではないかとかんがえます。


もちろん、
その土地に愛着があったり、
先祖代々受け継いできた土地であることは理解できますが、
自分たちが次にいかなければ、
次の世代までもがダメになってしまいますよ。

人生は、決断のくりかえしですからね。


3年。。。


ナニかに気づかないといけないとすると、
それは”決断するコト”と、”自立するコト”だとおもいますが、
みなさんは、どのように考えますか?




矢野顕子&大貫妙子「いつも通り」



旅路 良



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