Interview : June 23, 2014 @ 18:10
『KIDS LOVE GAITE』デザイナー”山本真太郎”──ロンドンへいく!(前編)
トーキョー発のシューズブランド『KIDS LOVE GAITE』のデザイナー”山本真太郎”が、2014年1月にパリとロンドンへと旅立った。
前回のパリから、話の舞台はロンドンへ。
10代から20代前半までの青春時代を過ごし、”山本真太郎”の原点ともいえる街、ロンドン。
靴のデザイナーとなるキッカケとなったお店”The Old Curiosity Shop”や、山本少年に多大な影響をあたえたロンドンのファッションカルチャーシーン「House of Beauty & Culture」。
約15年ぶりの訪英となった、この「ロンドンの旅」は、彼にどんな”想い”をのこしたのだろうか。
今回は、「ロンドンの旅」について話を訊いた”ロンドン編”。
─さて、ついにロンドンの話だけれど、ロンドンには何日間行っていたの?
山本真太郎(以下、山本):ロンドンは、6日間かな。

─むかし、住んでいたところをまわったり?
山本:したよ。
─今回のロンドンの旅のいちばんの目的は、いわゆる自分の原点回帰的な部分だったの?
山本:それもあるけれど、、、
今回のロンドンの旅での目的のひとつは、
ニットウェア デザイナーの”リチャード・トリー”に会いに行くコト。

80年代に「House of Beauty & Culture」というプロジェクトがあって、
そのメンバーのひとり。

─彼が”リチャード・トリー”?
山本:『Vivienne Westwood』のアーマーニットをデザインしていた人。
僕が崇拝している”リー・バウリー(Leigh Bowery)”というパフォーマンス アーティストがいて、
“ミンティ(Minty)”というバンドをやっていたんだけれど、
そのバンドのギターを担当してたりした人なんだ。
ロンドンにいる時、僕は”リー・バウリー”みたいなコトをやっていた時代もあってさ。。。
─リチャードとは、ロンドンに住んでいた当時からの付き合い?
山本:そう。

コレは、80年代に彼がつくったカバンで、
このカバンを「日本でつくるから!」と言って、
もらって日本に持って帰ったりしたんだよ。
─そうなんだ。

山本:それで、”ica(Institute of Contemporary Arts)”というギャラリーがあって、
ソコが主催で「House of Beauty & Culture」、
“リチャード・トリー”や”ジョン・ムーアー”、”クリストファー・ネメス”、
そして”ジュディー・ブレイム”とか、その辺の人たちをフォーカスしてさ、
いわゆる80年代ロンドンのデザイナーにフィーチャーしたエキシビションを、
ちょっと前にやっていたらしく。。。

─コレが。。。
山本:コレは、そのエキシビションのパンフレットね。
一部しかなかったから、とりあえず、全部写真に撮ってきたよ。

─コレは、かなり貴重だね。

山本:“リー・ヴァウィー”も”クリストファー・ネメス”も、
“ジョン・ムーアー”も、”ジュディ・ブレイム”も詳しく紹介していてさ。
“ジョン・ムーアー”は靴のデザイナーだよね。

─この宇宙船の操縦席みたいなのは?

山本:“リチャード・トリー”のアトリエ。

ソコに、”リー・バウリー”のデカイ写真が貼ってあって、
もうまさに”ミンティ”みたいな。


彼らのパフォーマンスを一回だけ見たんだけれど、超ブっ飛んでたよ。
─この写真は?

山本:コレはさ、ホントに偶然が重なったんだけれど。。。
彼は”イアン・リード”(写真右)。
もともとは、シューズデザイナーの”ジョン・ムーア”のアシスタントをやっていたんだけれど、
ジョンが亡くなって、彼がすべてを引き継いだんだよ。
リチャードとイアンは「House of Beauty & Culture」の仲間で、
イアンは”キムラダイタ”とふたりで、
“チャールズ・ディケンズ”の小説がモデルになっているお店、
“The Old Curiosity Shop(ザ・オールドキュリオシティーショップ)”をつくったんだよね。
─そこで山本くんは修行していただよね。
山本:そうなんだよ。
その建物は、たまたま借りることができたんだけれど、
国の指定文化財だからさ、外見はまったくいじれない。
内装だけ。
僕は、内装の手伝いをたのまれて、
そのままソコで働くというか、修行するようになったんだよ。
─なるほど。
山本:でも、イアンがいろいろとトラブルを起こしてしまってさ。
いなくなってしまったんだよね、それが20年くらい前。
お店は、”キムラダイタ”が引き継いで、
僕がいてという感じでやっていたの。
イアンとはそれから疎遠になってしまっていたんだけれどさ、
噂でイアンがイギリスで有名な傘屋さんの職人をやっているというのは聞いていたのね。
それで、リチャードと打ち合わせに行く前に、そのお店の前を通ったの。
「ココで、イアンがはたらいているんだ」とおもって、
店の中に入って見ていたら、イアンがいきなり店に入ってきてさ。
むこうもビックリしていたんだけれど、
どうも遅刻してたみたいで、
とりあえず、後で会おう!ってなって。。。
─待ち合わせたのね。
山本:「昼に戻るから!」って言って別れたんだけれどね。
で、リチャードとの打ち合わせ後に、
彼に「イアンに会うけど行く?」って聞いたら「行く!」って。
彼も会うのは久々らしくて。
─それで会いにいったんだ。
もうひとりの左のヒトは?
山本:彼も「House of Beauty & Culture」の家具デザイナーのひとりで、
“アラン・マクドナルド(Alan Macdonald)”。

イアンとリチャードと3人で歩いていたら、バッタリ。
いまは、”フランシス・ベーコン”とかの映画のアートプロデューサーをやっているんだって。
彼は、”The Old Curiosity Shop”の内装をやった人のパートナーでさ、
そのヒト自身はもう亡くなってしまったんだけれど。。。
「House of Beauty & Culture」の人たちでも、すでに死んでいる人もいるからね。
だから、そんな中の3人が突然そろったので、
「オレが奇跡を起こした!」みたいな感じで、すごく興奮したよ(笑)。
─なるほどね。
山本:それくらい、この3人があつまったことは衝撃的だったよ。

─これが”ICA”だね。

山本:そう。
リチャードが「もしかしたら、まだ”ICA”に資料がのこっているかも」って言っていたから、
資料をもらいに行ったんだけれど、、、残念ながら無かったね。
“ICA”って、当時は日本の映画を上映していたりして、
“ビートたけし”とか”岩井俊二”とかが来てたんだよ。
あとは、アコースティックのライブで”パティ・スミス”もやっていたし。
パティを見に行った時に、”アレハンドロ・ホドロフスキー”がいて、
僕がいちばん好きな映画監督。
彼に話しかけたら、いろいろ話をしてくれてさ。
そんな感じで、当時は”ICA”によく行ってたよね。

─コッチも”ICA”??
山本:いや。
コレは、”ヴィクトリア&アルバート博物館”。
たまたま、80年代のファッションをやっていてたんだよね。
─おっ!コレが例の、、、

山本:そう!
むかし、はたらいていたお店、”The Old Curiosity Shop”ね。
ホルボーン(Holborn)というエリアにあるんだけれど、
ぜんぜん、変わってなかったよ。
この建物が、ホントにスゴくて。。。
1500年代に建てられたんだけれど、建物が歪んでいるんだよね(笑)。
ペンキは塗り直しているけれど。。

─店のなかかな?
山本:天井がとても低くてさ。
─この店はどうやってみつけたの?
山本:そもそも、僕は”キムラダイタ”とつながっていて、
「お店をつくるから、内装を手伝ってくれ!」って言われたのがキッカケ。
もちろん、その前から”House of Beauty & Culture”とか、
『ジョン・ムーア』は好きだったからさ。
コッチとしては願ってもないハナシだったよ。

─彼が、”キムラダイタ”氏?
山本:そう!
でも、ダイタがいたから、
いまの自分があるし、靴の仕事にも関わっているコトができたんだよね。
それに、リチャードとか、イアンとか、
「House of Beauty & Culture」のシーンにじかに触れられたのも彼のおかげだからさ。

ココは地下のアトリエで、作業場ね。

この奥に削る機械とかあって、もういつもホコリまみれだったよ(笑)。
─そうなんだ。
山本:ここに立って、皮を裁断したり。

─じゃあ、ココが山本少年の原点だ。
山本:そうそう!
ホントに少年だったとおもう。

─何年くらいはたらいていたの?
山本:5〜6年かな。

─何歳のときから?
山本:19くらいから、24歳くらいまでだね。

とりあえず、ビックリするくらいまわりに店の数が増えていてさ。
15年前に住んでいたときには、選べるような店の数もなかったから。
─なるほど。
山本:だから、ドコに行くとか、ナニを探すとか、
そういう感覚もオモシロかったよね。
でも、ヒドいところは、ホントにヒドかったよ(笑)。
だけど、住んでいたときに行っていた店が残っていたりしたのはうれしかったけどね。

─ココは、ナニ屋さん?
山本:コレは”The Old Curiosity Shop”の横で、バーバー、床屋ね。
ギリシヤ人だかがオーナーで、この床屋にはよく行っててさ。
超胸のおおきいオンナの人が3人くらいいて、
絶対オーナーはソレをねらって雇っているんだよ。
─山本くんが、ソレに引っかかってたタイプでしょ(笑)。
山本:まあね(笑)。

─コレはスゴいね。

むかし行っていたお店?
山本:そう!
ココが「ヤン・シン」ね。
毎日のように行っていて、こういうものを食べて、ブクブクに太ってしまったんだよ(笑)。
─コレは、、、チキン?
山本:ダックヌードル。
一番好きなのは、奥に写っているソヤチキン。
ソヤチキン ウィズ ライスね。

─ソヤって?
山本:醤油のソヤね。
ぜんぜん甘いんだけれど。
─テリヤキにちかい感じなのかな?
山本:テリヤキって感じではないんだよな。
ショウガがいっぱい入っていて、チキンのショウガ焼きって感じ。
─ココは、”The Old Curiosity Shop”のちかくなの?
山本:いや、チャイナタウンの近くなんだけれど、徒歩圏内だね。
今回パリから移動して、夕方前についたのかな。
どうしても、この日に「ヤン・シン」に行って、コレを食べたくてさ。
無理矢理行った(笑)。
─肉ばっかり。
山本:ポークとチキンとダックね。
コレ、全部食べたよ(笑)。
─食べすぎ(笑)!

ココはドコに行ったの?

山本:ココは『Insane(インセイン)』の”ジェッド(Ged)”のアトリエ。

じつは、今度、ふたりでやったものを出そうとしているんだよね。

─彼とは、むかしからの知り合い?

山本:そう。
もともと知り合い。

─ココら辺は、住んでいたころに遊んでいたりしたトコロなの?
山本:ではなく、もともとはあまり馴染みのない東のエリア。
コレは、2階建てバスから見た町並みで、イーストへむかう途中。

いまは、『グリニッジ・マーケット」とかが、すごく盛り上がっているんだよ。

僕が住んでいた時代は、こんなに盛り上がってなかったし、
蚤の市にしか来たコトがない場所なんだね。

それが、いま若者があつまってるところになってるんだよ。


─これはシュールだなー(笑)。

山本:でしょ(笑)?
─ケバブの店の看板に「are you dead?」って、ひどいスノッブなギャグだよね(笑)。

コレは美術館かナニかかな??
山本:コレはギャラリーというか、画廊ね。
このまわりの壁にアートが描かれていたんだよ。
道沿いにギャラリーがならんでいるエリアなんだよね。

(「ロンドンへいく!(後編)」へつづく)
□『KIDS LOVE GAITE』エキシビション @ パリ
開催日程:2014年6月25日-2014年7月2日
時間:10:00-19:00
会場:
SHOWROOM ATELIEL
74 rue CHARLOT 75003 PARIS
□プロフィール
山本 真太郎
『KIDS LOVE GAITE』デザイナー
1974年8月28日生 東京出身
1990年に渡英。1995年に”CAMBERWELL COLLEGE OG ARTS”に入学。
1996年から”The Old Curiosity Shop”にてシューズデザイナー”イアン・リード”と”キムラ ダイタ”のアシスタントとして勤務。
2000年に帰国し、OEMの企画営業などを経て、2008年秋冬コレクションより『KIDS LOVE GAITE』をスタート。
2011年からスタイルで再スタート。
『KIDS LOVE GAITE』オフィシャルサイト:http://dupestyle.com/
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