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ブラインドからのぞき見た世の中 : August 20, 2014 @ 14:16

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.118『戦後の69年を考える』



2014年8月15日で、ニッポンの戦後から69年目をむかえました。


そういえば先日、某テレビ番組の街頭インタビューで「8月6日はナンの日?」という質問を、
トーキョーとヒロシマでしていたのですが、まともに答えられる人がほとんどいなかったんですよね。

しかも、若い世代だけかと思いきや、意外と40代中盤の世代まで。。。

たしかに、日本国内においては現状戦争らしき戦争はしていませんからね。

それに原爆の話も特に身近ではないというはわかりますが、ヒロシマもそうなのは、、、
ちょっとカナシイというか、嗚呼ーというか、なんともビミョーな感覚をおぼえました。


残念なことにセカイのドコかでは、いまだに戦争や紛争に巻きこまれ、
くるしい生活を強いられているヒトがいます。

しかし、それは対岸の火事ではなく、遠い国のお話でもなく、
もしかしたら”明日はわが身”の不安定な世界情勢なワケですよ。

戦争がいかにおろかな行為だと、わかっちゃいるのにやめられない。

まあ、一種のマヤクなんでしょうな。


それにしてもこの69年間で、われわれニッポン人の、
戦争に対する意識はどのように変わったのでしょうか。

ヒロシマの原爆を題材にしたマンガ『はだしのゲン』は、
表現がカゲキだからという理由で一部の小学校の図書室から消え、
広島の平和記念館からは被曝した人の”役”であるマネキンが、
消える可能性まででてきている現代ニッポン。

インターネット上では、
現在勃発中の戦争地域の悲惨な状況がリアルタイムでおくられてきているワケで、
その情報や写真をシェアすることですらも表現がカゲキだという理由で、
シェアすべきではないと主張する人もいますよね。

たしかに、ミル or ミナイは個人の自由ですけれど。。。

とはいえ、それはソコで起こっている現実なワケです。


ニッポンにおいては、やはり一度、戦争を総括すべきなんでしょうね。

総括できていないから、ナニも実になっていないような気がします。


世の中的にも、個人的にもですが、どうしても戦前を否定しがち。

戦前を否定するコトは、戦後も否定するコトなんですけれどね。

だから、従軍慰安婦問題しかり、戦争中のさまざまな醜い出来事しかり、
まったくもって解決の方向に向かわないワケですよ。


核、放射能の問題も一緒です。

69年前、原爆はヒロシマ、ナガサキのコミュニティを崩壊させ、
そしてその66年後の3年前、原発事故はフクシマのコミュニティを崩壊させています。

被ばくで苦しんだ国のハズなのに、
その経験がまったくもって役に立っていなかったという残念な結果。


そして、こんどは集団的自衛権の行使容認や、特定秘密保護法など、
戦争の”匂い”のする法律が認められはじめている現状。


このままいくと、自衛隊は”軍”のようなモノに変化していくのでしょうかね。

軍といえば、文学者の”司馬遼太郎”氏が、自身の軍体験のなかでこういう話がありました。


終戦間際に栃木にいた彼の部隊。

若き”司馬遼太郎”は上官に
「本土決戦の際、関東から逃げてくるヒトたちで混乱状態の道路を、
どのように南下すべきか?」
と尋ねたところ、
「自分らは国を守る皇軍である。そんなジャマな奴らは轢き殺せ!」
と言われたとのコト。


本来ならば、国、いや国民を守るハズの軍が、
国民は殺して、領土を守ることに専念する。。。

でも、”軍”とはそんなもの。

戦争に巻き込まれるのは、いつも市民なワケです。


ドコかの政府は、集団的自衛権における自衛隊の海外での活動は、
非戦闘区域での平和的活動のみ、なんて話をしていましたけれどね、
戦争状態の地域で、ドコに非戦闘区域があって、
ドコに安全地帯な場所があるというのでしょう。

戦争に非戦闘区域も安全地帯もないコトは、
これまでの史実を知るだけでも明白。

先のウクライナにおけるマレーシア航空機撃墜事件がいい例ですよ。


戦争を放棄していたハズが、
戦争の手伝いをすることになってしまったニッポン。


あと、20年もすれば、戦争経験者は、
ほとんどいなくなってしまうだろうと言われている現状。

では、我々の世代は次の世代に、
戦争がいかにおろかな行為であるコトをどうやってつたえていけばいいのか。


「大いなる精神は、静かに忍耐する」

とは、ドイツの詩人”フリードリヒ・フォン・シラー”のコトバですが、
じつはこのコトバ、自衛隊幹部の旨とするコトバだったりもします。


「戦争をしない忍耐を、どうにか身につけてほしい」というのが、
もしかしたら、われわれの次の世代へのバトンにスべきなのかも。

戦争の体験は話せないけれど、それくらいなら伝えられる、
と、ワタクシはおもいましたが、
みなさんは69年目の8.15をどのように考えましたか?




研ナオコ「夏をあきらめて」



旅路 良



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