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ブラインドからのぞき見た世の中 : October 16, 2014 @ 17:12

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.122″空気読み”の「言論統制」



どうも最近の日本は、「言論の自由」がなくなりつつあるように感じます。


レイシストによる過剰なまでの差別用語でオサエこまれてしまう状況や、
それにともなう規制法設立問題。

クライアントのアソコに気をつかってほしいから言わない!で、とか、書かないでほしい!とか。

彼らが聞いたら、とか読んだら、どう思いますか!?とか。。。


ジャーナリズムを打ち出していかないといけないメディアまでもが、そんな状況ですよ。


自分自身だったり、身近なヒトにもだったり、けっこうそういう状況があったりします。

ココは共産主義の国かよ!とおもうコトがチラホラ。


もちろん”自由な発言”には、”責任”がともないます。


日本は狭い国ですからね。

そして、それぞれの業界も狭い。

いろいろとコトバには気をつかわないといけないコトだったり、状況もあったりします。


でも、言わないといけないことだったりも「空気を読めよ!」のひと言で、
言えない状況をつくってしまうのって、いかがなもんでしょうか?


おかしいことは、おかしい。

もし、言って、まちがっていると思ったのであれば、キチンと訂正して、謝罪をする。

言われたコトが違うとおもったのであれば、キチンと反論する。


それでいいじゃないですか。

まあ、その謝罪を先方が受け入れるかどうかというトコロにもよりますが。。。


しかし、現状の世の中の流れをみると、謝罪がありながらも、
まったくカンケーのない人たちが、その間違いを「鬼のクビ取ったど!」的な感じで、
突っ込みまくっているワケですよ。

なんだかおかしい状況ですよね。


人間、ダレだって間違いはおかします。

だって人間だもの。


でも、間違って、それを理解するから、次から間違いをおかさなくなっていく。

それって、ボクらが受けてきた教育の流れのハズなんですけれど、
どうもそれすらも許されない世の中になりつつあります。

この世に、どんだけ”聖人”がおおいんですか。

だいたい”聖人”がいるってこと自体に、
ワタクシ、まったくもって理解不能でございます。

聖人”みたいな”人がいる、というのであればわかりますが、
“聖人”なんているはずがないですよ。


人間の本性は基本的に善であるとする”孟子”の「性善説」と、
人の性は悪なりという”荀子”の「性悪説」なんて、倫理説がありますけれどね。

個人的には、「性には善も悪もない」とする告子の「性無記説」派だったりします。

真っ白から教わって育つから、その人の色がついたり、社会性を持ったりするワケで、
それが最初から決まっているハズがないですよ。


ま、空気なんて読まずに、腹を割ってはなす。

議論はキチンとすべき。

そこからお互いの理解が生まれるのでは。


そんな”生”の人間でいいじゃないですか、とワタクシは考えますが、
みなさんは、どのように考えますか?




坂本慎太郎「ナマで踊ろう」



旅路 良



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