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ブラインドからのぞき見た世の中 : March 19, 2015 @ 21:49

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.132『「配慮」に「配慮」する』



えー、さてー、東日本大震災から4年が経ちました。


復興したとおもっているヒト、復興してないとおもっているヒト、
さまざまなヒトがたくさんいらっしゃいますな。

世の中的には「復興していない」という意見が大半の様です。

最終的には、「ナニをもってして復興となすのか」という部分になってしまうのですが。


それにしても3.11以降、世の中は空前の「配慮」ブーム。

テレビも「配慮」、新聞も「配慮」、ラジオも、雑誌も、映画も「配慮」。

ちょっとでも津波や原発事故を連想させる”ナニか”が映像や写真でデタ瞬間、
モグラ叩きバリににたたかれてしまう始末。

ナンなんでしょうな。


そりゃね、はげしい損傷の死体の写真やら映像やらナンやらというのが、
どうやっても目に入ってしまうような、いわゆる選択のできない状況、、、
TVならばCMで流すとか、街頭のビジュアル広告で出すとか、
であれば分かりますよ。

でも、「見る」or「見ない」という個人的に”選択が可能”なものに関しても、
出ただけで「配慮が足りない」などとナンクセがつけられてしまう現状。

SNSやらブログやらの、いわゆるインターネットによる拡散の影響も、
すくなからずあるとはおもいますけれどね。

しかし、どうもこの「配慮」というコトバが、
「絶対的な力」の存在になってしまっているのかな、と思わざるを得ません。


そもそも「配慮」って、もっとも日本人的な曖昧なバランスの取り方なので、
公的基準にするにはむずかしいんですよ。

個人個人によってもそのボーダーラインの部分がバラバラ。


例えば、ワタクシ個人的な考えでいうと、
映画や本などの結末、
いわゆるネタバレ的なものを公の場に出すのは「配慮」すべきだと考えます。

だから、最近の映画情報系の番組やら雑誌やらで、
某アイドル的な女の子がよく分からない感想とともに、
ネタバレしちゃうのとかは、完全にアウトです。

それに”山下達郎”さんがツアーライブの際、
演奏した曲目をSNSやらブログやらで公開するのは「ご配慮願います」という「配慮」は、
納得できるワケです。

それでも公開しちゃうヒトはしちゃってますけれどね。

ただ、そのような場合の「配慮」というコトバのつかい方は納得します。


でも、このところその「配慮」的なモノが、
ちょっと行き過ぎではないかと感じてしまうコトがシバシバ。

行き過ぎた「配慮」の結果が、
「報道しナイ」、「記事にしナイ」、「コトバにしナイ」の、
「ナイナイナイの自主規制」となってしまうワケです。

コレはもう表現の自由の危機ですよ。


そもそもTVや新聞、雑誌などのメディアって、
世の中に疑問を投げかけて、それに対して我々民衆が議論をするというのが
役割なワケですからね。

まちがった「配慮」の仕方によって、
疑問も投げかけられない、議論も起きない状況って
「ちょっとどーなの?」って思ってしまいます。

メディアに関していえば、苦情対策的な部分もあるのカモですが。。。


とはいえ、「配慮」の壁が、
以前よりは高くなってしまっているようにおもえます。

「配慮」に「配慮」している、二重「配慮」状態のニッポン社会。

つかっている「配慮」というコトバに対して、
キチンと議論をしてこなかった結果が、
いまの現状なんでしょうな。


とにかく、この「配慮」。

「配慮」はすべきではありますが、
黄門さまの紋所じゃないんだから、
ナンでもカンでもソレでかたづけてられてしまうのは、
どうなんでしょうかね。

と、ワタクシは考えてしまいますが、
みなさんは現状の「配慮」問題、
どのように「配慮」されていますか?




EPO「こぬか雨」




旅路 良



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