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ブラインドからのぞき見た世の中 : April 21, 2015 @ 15:01

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.134『政治と批判のカンケー』



えー、さてー、某テレビ番組の解説者が政治的圧力で降ろされる、、、
なーんてまるでサスペンス劇場的な事態が起こる現代ニッポン。


よく考えてみると、いやよく考えなくともちょっとおかしくないですかね。

「アレ!おかしい!!」と思ったコトを、
素直に「おかしくね?」と言えない世の中になりつつある。


たしかに、言動には責任はつきものですが、
コト政治に関しては、別ですよ。


そんなこと言ったら、クチばっかしの公約で当選して、何もせず、
責任も取らずにやめていったかずかず国会議員やら、
地方議員やらはどーなっているんですかね。

ナゼか、シモジモの人間ばかり責任を取らされる、
しかもよく分からない政治的な圧力で、という状況が、
いまのニッポンのような気がします。


張の本人コト某古賀さんは、先日おこなわれた日本外国特派員協会にて会見で、
日本の大手メディア(TVやラジオなどのいわゆる電波系)は非独立性であることを痛烈に批判していました。

メディアの独立というのは、”報道の自由”という点においては必要不可欠なワケです。

しかし、大手のメディアは放送の免許的な部分を、内閣の一部である総務省、
いわゆるオカミが管轄しているワケですからね、
残念ながらソコに独立性はないですよ。

法律では独立性をうたっているのに、実際はムリという、
よくわからない状態。


ちなみに、政治の批判や批評って、
みなさんはどのようにみていますか。


もしかしたら大半の方は、「そういうのメンドーだから」とか、
「つまらないから」とか、そんな感じなんでしょうかね。

しかし、政治って、もっとも自分の生活に直結する問題だったりします。

政治が不安定だったり、トップがバカだったりすると、
めぐりめぐって自身の生活を脅かす”怪物”に早変わりするワケですよ。

しかし、その前にキチンと批判や批評をしていれば、5秒でもかんがえるコトができるなら、、、
そうならない可能性が生まれるってワケです。

税金をおさめている日本の国民であれば、
ダレでも自由に批判、批評してもいい。

ソコから議論が生まれれば、なお良しです。

議論なくして、いいモノは生まれず。

むしろ、もっと議論がおこらないとダメなんじゃない?
ともおもいますけれどね。


しかし、お国柄なのか、国民性なのか、
どうも議論を避ける方向にあるわが国。

ちがう意見があったっていいハズなんですけれどね。

別の意見を認めず、聞き入れない状況の方が、
ファシズム的でかなりコワいです。

ニッポンはムラ社会から、いまだ脱しきれていない、、、
右向け右の社会なんでしょうな。


それは、本来ならば、根本の「教育の現場」から
つくっていかないといけないカルチャーなんですがね。

まだまだむずかしそうです。

オトナがダメだから、コドモにまで影響が出る。

その典型的というか、悲劇的な事件のひとつが、
最近でいうと、例の川崎の「多摩川中学生殺害事件」なのでは。

アレが「モノを言わせない日本社会」の、
最小で最悪の事件だったのかなとかんがえます。


たしかに、ナンでもカンでも言えばいいってもんでもありませんがね、
でもナニも言っちゃダメよりは、いいとおもいますよ。


たかがテレビ。

それだけで某番組の解説者が、
政治的圧力で降ろされるなんて事態が起こる状況は、
ちょっとコワいなと思いましたが、
みなさんは、今回の事件、どのように考えましたか?



UA「情熱」




旅路 良



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