ブラインドからのぞき見た世の中 : March 31, 2016 @ 21:54
ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.157『コトなくともコトナカレ』
えー、さてー、例の「集団的自衛権」の行使が、
2016年3月29日に可能となりまして、
いろいろと歴史的な日となってしまいましたな。
あまり歴史的感がない雰囲気ではありますが。。
だって、いままでの憲法の意味が変わってしまった日ですよ。
それは、歴史的と言っても過言ではないかと。
しかし、ナニが国家機密で、ナニが機密じゃないのか、、、
それすらもハッキリしていないうえに、
政府のそれにたいする行動を、
キチンと監視&管理するための第3者委員会的なモノも、
いまだボンヤリです。
今後は、さまざまな政府のモノゴトが見えない状況になり、
まあまちがいなくヤリタイ放題に、
ヒミツゴトが増えるでしょうね。
29日におこなわれた「集団的自衛権」反対派の国会前集会は、
そこそこヒトがあつまっていたようですが、
あまり話題になっていないようです。
ソレにしても、さまざまなモノゴトの記憶が薄らぎはじめてますな。
例の甘利氏の問題もいまだ説明責任がはたされないまま、
アマリにもボンヤーリ浮いてしまってます。
まあ、この2016年3月29日という歴史的な日も、
半年後には、まちがいなくボンヤーリになってしまうのでしょうね。
しかし、ナンでしょうね。
この感じ。
いろいろなものの流れがはやすぎるのか、
いや、いろんなコトが起きすぎているのか。。。
とにかく、話題が世の中から消えサルはやさがはやすぎです。
すでに、3.11の大震災の話題も、
それほど出て来なくなっていますからね。
もちろん、その土地にいて被災された方にとっては、
忘れられないコトなのでしょうけれどね。
しかし、問題は、その他の土地で震災の影響がなかった方ではないかと。
もちろん、知らない土地で起きたニュースの一部でしかないのもわかりますが、
コレでは教訓もナニもあったもんじゃない。
ま、そこは地方の原発の再稼動のニュースなんかを見るとわかりますよね。
コトがあってもコトナカレなのに、
今後は、コトがなくともコトナカレになるのでは。
つまり、ナニもない=ナニも起こっていない、
という方程式が出来上がってしまうのではないかと。
見えない部分がふえることによって、
ナニも起きてナイになってしまうってコトですのでね、
モノゴトが大きくなって起こってから気づく。
まあ、それでもぜんぜん生きていけるのでね、
ナンの問題はないかもしれませんが、
でも、それってナガレに沿っているだけのような気がします。
ナニかが起きてからではおそい!というのが、
先のフクシマでの原発事故だったのでは?
情報はツネに自らとりつづけるというのが、
さらに重要になる時代が到来した、
それが2016年3月29日だったのだとワタクシは考えましたが、
みなさんは、どのように考えましたか?
モアリズム「歴史に名を残す」
旅路 良
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