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Interview : November 1, 2012 @ 20:26

菊池武夫 × 青野賢一 ── 『フクミライ』トークショウ(その1)



福島県出身の本誌編集長”カネコヒデシ”と、同じく福島県出身の”富澤タク a.k.a. 遅刻”さん(グループ魂/Number the.)とふたりが中心となって立ち上げた”フクシマ ブンカハッシン プロジェクト『フクシマ+ミライ=”フクミライ”』”。


「フクシマからミライを」をモットーに、2012年7月から8月にかけていわき市、福島市、郡山市、会津若松市と、福島県内の主要都市4ヶ所をまわり、カルチャーを発信したプロジェクトだ。


今回は、2012年8月10日に開催された『フクミライ@こおりやま』にて、デザイナーの”菊池武夫”先生とビームスの”青野賢一”さんのおふたりにご参加いただき、「ファッションと音楽」をテーマにおこなわれたトークショウを、3回にわたってお贈りする。

ココでしか聴けない貴重なトークを、ご堪能アレ。






カネコヒデシ(以下 カネコ):本日は、よろしくお願いいたします。

青野賢一(以下 青野):今日は3人そろって靴がウィングチップですね。

菊池武夫(以下 菊池):あ!ホントだ。

青野:3人で相談しました的な(笑)。

カネコ:ホントですね(笑)。
さて、タケ先生は今年、ファッションブランド『タケオキクチ』のクリエイティブディレクタ—に戻られたばかりですが。

菊池:そうなんです。
2003年に完全に離れてからしばらく別の仕事をしていたのですが、、、また戻りました。

カネコ:失礼ですがお歳を聞いてもよろしいでしょうか?

菊池:1939年生まれなので、73歳です。

カネコ:73歳でまたクリエイティブディレクタ—に戻るって、ホントにスゴいことですし、素晴らしいですよね。

菊池:いやいや、こんな年寄りが出ちゃダメかななんて思ったけれど(笑)。





カネコ:いえいえ、ぜひ若い人たちのケツを叩いてやってください(笑)!
さて、青野賢一さんは、『BEAMS(ビームス)』という、いわゆるファッションのセレクトショップの会社にいらっしゃいますが。。。

青野:そうです。いわゆるセレクトショップです(笑)。

カネコ:現在はクリエイティブディレクタ—という肩書きと、ビームスレコーズという。。。

青野:音楽レーベルというか、CDショップというか。。。

カネコ:、、、のディレクタ—をやられているんですよね。
実際は、どのようなお仕事をやられているんですか?

青野:まあ、雑用全般ですよ(笑)。

カネコ:ハハハ(笑)。たしかにそんな感じですよね。
今日はよろしくお願いいたします。

青野:よろしくお願いしまーす(笑)。

カネコ:さて、まずは先日リリースされましたタケ先生の『菊地武夫の本』。ホントに先生の人生そのものが書かれていて、タイトル通り『菊地武夫の本』でしたね。

菊池:生まれた時から73歳まで、73年間の話を書きましたよ。

カネコ:すごいボリュームでした。

青野:ボクも読みました。
とてもエキサイティングな内容で、面白かったです。

カネコ:ご本の中にももちろんファッションの話しも書かれていましたが、音楽の話もいろいろとありましたね。
ということで、今日のトークのテーマは「ファッションと音楽」です。
おふたりともファッション分野の方ではありますが、音楽好きとしてもお馴染みですよね、、、と、言いながら最初の話題は音楽にも、ファッションにもまったく関係のない福島についての話題からなのですが(笑)。
おふたりとも福島県ははじめてですか?

菊池:いえ、ボクは違うんですよ。
4回目なんです。

カネコ:お店のオープニングにいらしたとかですか?

菊池:いや、プライベートです。一回は温泉に来たのと、郡山が今日で3回目。
じつは、昨年の3.11のちょうど1週間前に郡山に来てました。
『植田正治写真展』を郡山美術館でやっていたので、そのときに講演に来たんですよ。
それからまるまる一週間後に3.11だったので、ホントにもう、、、がんばってください!

カネコ:福島のみなさん、がんばっていきましょう(笑)!
青野さんは福島県ははじめてですか?

青野:ボクはそれこそ中学校の林間学校で会津磐梯山に来たくらいで、キチンと来たのははじめてにちかい感じです。

カネコ:福島県はどんな印象でしたか?

青野:やはり、食べ物がおいしいイメージですね。
コチラに住んでいて農家をやられている方とツイッターでつながって、先日もとうもろこしを贈っていただいたり、ほかにも野菜とか、地酒とかをいただいたりして、すごくおいしかったです。
とにかく食べるのが好きなので、おいしい食べ物がたくさんあるイメージがありますね。

カネコ:なるほど。
タケ先生はお酒の方は?

菊池:お酒は大好きです(笑)。

カネコ:福島は酒処ですが、日本酒も呑まれたりされますか?

菊池:いえ、日本酒だけはダメなんですよ(笑)。
ほかは大丈夫なんですけれどね。

青野:それは意外ですね。

菊池:焼酎は大丈夫なんですけれどね。
日本酒は、若いときには呑んでいたのですが、悪酔いを何回もして(笑)。
それでなんとなくトラウマになっているんです。

青野:確かに日本酒というよりは、洋酒があるお店にいらっしゃるイメージはありますよね。

菊池:音楽が掛かっているようなところには良く行きます。

カネコ:では、この『菊池武夫の本』についてですが、ご本を出されるにあたり、苦労された点はありますか?

菊池:苦労というか、、、やっぱり記憶がね。
“あとがき”にも書いたんですけれど、最初はホントに3つ、4つくらいしか思い出せなくてビックリしたんですよ。だから、果たして書けるかなと、心配でした。
でも、書きはじめたら、子どものころの記憶も全部のこっていましたしね。
ただ、最近の記憶よりも、むかしの記憶の方がのこっていますよ。





カネコ:ご本の方にも書かれていましたが、70年代当時は忙し過ぎてほとんど覚えていないと。

菊池:そうですね。
この世界に入った70年代あたまは、『BIGI』というブランドを立ち上げて、自分で店をやっていたのと、同時にメーカーもやり出してということもあって、その時はいつ寝たのかわからないくらいでした。
いまだと考えられないんですけれど、店が夜の12時くらいまでやっていたんですよ。
その後、食事に行ったり、飲みに行ったり、、、飲みというか遊びに行くんですけれど、当時はディスコ全盛の時代で、お正月も休まずに遊びに行ってましたね。だから、365日ほとんど家にいなかったです。

カネコ:忙しい生活をされていたんだなって、読んでて思いました。

菊池:忙しくしてました(笑)。

青野:このご本はどのくらいの期間で書かれたんですか?

菊池:2年くらいです。

カネコ:やはりそれくらい掛かったんですね。

菊池:全部自分で書いていたのでね。
はじめは簡単に書けるかなと思ったんですけれど。最初、編集の人にいろいろとテーマを出してもらって、それを書いていたんですが、書ける時は書けるんですけれど、書けない時は一行も書けない。
それにプライベートのことは、変な書き方をしちゃいけないというのがあったのですが、最初、あまり気にしないで勝手に書いていたらダメ出しもあったり。もちろん、全部直しましたけれどね(笑)。

青野:実名が出ている方とか、ありましたもんね。

カネコ:カメラマンさんとか、お友達のお名前とかもけっこう出てましたしね。
では、音楽のお話にうつりますが、、、まずは音楽とファッションは関係していると思いますか?

菊池:関係、、、していますね。
どちらかというと音楽の方が人の共感を得るのにもっとダイレクトにいけるので、音楽からファッションへの流れが強かったんじゃないかと思います。僕がこの仕事に入った理由も、やはり音楽の人たちのカッコよさに惹かれてはいったような感じもしますから。

カネコ:なるほど。
青野さんは、どうですか?

青野:僕が若いころとか、菊池さんがブランドをはじめられたころのことをいえば、情報も少なかったですし、それに当時は、音楽って普段自分が生きている世界ではないところで起こっていることが、音を通してスッと入ってくるものでしたよね。
ジャケットを見ながらいろいろなことを想像する。「コレどこの服を着ているのかな?」とか、「かっこいいけれどどこに行けば買えるのかな?」とか。そういうところでイメージを膨らませて、服を選んだりしていたので影響はあると思います。
ただ、それが”いま”ってことをいえば、むかしと同じような状況かというと、、、どうかなという感じはありますね。





菊池:そうだね。

カネコ:いまは、もしかしたらインターネットの影響とかもあって、アーティストたちの着ている洋服がすぐわかってしまうというのもありますよね。
情報がすぐに手にはいりますから。

菊池:ホント、すぐですよね。

青野:最近の服をつくっているデザイナーの人たちが影響されているものというのは、たぶん音楽だけではないですよね。ちがうカルチャーとか、ちがうコンテンツとかから出て来るクリエイションが、デザインの中心になっているブランドもけっこう増えていますし。だから、必ずしも音楽だけが関係しているということではないとは思います。

カネコ:おふたりが、ご自身のファッションにもっとも影響受けた音楽、もしくはアーティストはいらっしゃいますか?

菊池:影響は受けましたけど、ダレにという感覚はまったくないですね。
全体的な雰囲気として、空気として感じていたというのが強いです。

カネコ:タケ先生は、ご本の方でモダンジャズを聴かれていたと書かれていましたが、そのシーンにはやはり影響を受けていますか?

菊池:ボクは、ジャズに触れたのが子どものときだったので早かったんですよ。大学生のころはモダンジャズ一辺倒でした。
ただ、突然聴かなくなってしまった時期もあるんですよ。
仕事に入った70年代はロックの影響が強くて、ジャズはもしかしたら死んでるのかな?というくらい下火でしたから。

カネコ:ロックは、どのようなロックを聴かれていたんですか?
たとえばUKとかUSとか?”ビートルズ”とかでしょうか?

菊池:”ビートルズ”は、日本に来た時に観に行きました。カッコよかったですよ。
あとは”Doors”みたいなのも好きでしたね。

青野:”Doors”は、音で言うとジャズロックっぽいところがありますからね。
だから、けっこうジャズを聴いている人だとスッと入れたりするんですよ。



(その2につづく)







□プロフィール

・菊池武夫





1939年 東京千代田区に生まれる。
1962年 文化学院 美術科卒業。
1964年 原 信子 アカデミー卒業。
1967年 注文服の制作をスタート。
1968年 コマーシャル用のコスチュームデザインやファッション写真の衣裳制作を手掛ける。
1970年 パリでの海外生活などを経て友人と(株)BIGI設立。
1975年 (株)MEN’S BIGIを設立。
1976年 前年秋より放映のドラマ「傷だらけの天使」で萩原健一の衣裳をデザイン。
1980年 パリに(株)MEN’S BIGIヨーロッパを設立。同年パリにてコレクションを発表。
1987年 MEN’S BIGIを退社。同時に(株)ワールドに移籍『TAKEO KIKUCHI』を発表。
1990年 自らのプロデュースによる複合商業スペース TK ビルディングを西麻布にオープン。
1996年 監督・王家衛、主演・浅野忠信による短篇映画 「wkw/tk/ 1996@7′55″hk.net」をプロデュース。
1999年 『TK TAKEO KIKUCHI』 『TAKEO KIKUCHI SCULPTURE』を発表。映画「鮫肌男と桃尻女」で主演・浅野忠信の衣裳をデザイン。
2002年 6年ぶりに東京コレクションに参加。
2004年『TAKEO KIKUCHI』のクリエイティヴ ディレクターを後任に引継ぐ。
2007年 自らのディレクションによるブランド『40CARATS&525』スタート。
2012年 『TAKEO KIKUCHI』クリエイティブディレクター就任

http://www.world.co.jp/takeokikuchi/



・青野賢一





〈BEAMS〉クリエイティブディレクター、〈BEAMS RECORDS〉ディレクター。「ビームス 創造研究所」に所属し、執筆、選曲、展示の企画運営、ウェブディレクション、大学や専門学校での講義などを通じ、ファッション、音楽、文学、アートなどを 繋ぐ活動を行っている。2010年には、初の著作集『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)を発表した。選曲家、DJとしては1987年より活動を開始し、 音楽と触れ合うことのできる様々な空間において、ジャンルや年代に囚われない良質の音楽を提供している。山崎真央(gm projects/AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)との選曲ユニット「真っ青」の一員でもあり、同名義でピアニスト/作編曲家・中島ノブユキの 「thinking of you」のリミックスも手掛けた。
http://www.beams.co.jp/
https://twitter.com/kenichi_aono
https://www.facebook.com/kenichi.aono




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Photo by 本田 謙/KEN HONDA


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