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Interview : November 8, 2012 @ 13:05

菊池武夫 × 青野賢一 ── 『フクミライ』トークショウ(その2)



福島県出身の本誌編集長”カネコヒデシ”と、同じく福島県出身の”富澤タク a.k.a. 遅刻”さん(グループ魂/Number the.)とのふたりが中心となって立ち上げた”フクシマ ブンカハッシン プロジェクト『フクシマ+ミライ=”フクミライ”』”。


「フクシマからミライを」をモットーに、2012年7月から8月にかけていわき市、福島市、郡山市、会津若松市と、福島県内の主要都市4ヶ所をまわり、カルチャーを発信したプロジェクト。


ひきつづき、2012年8月10日に開催された『フクミライ@こおりやま』にて、「ファッションと音楽」をテーマにおこなわれた、デザイナー”菊池武夫”先生とビームス”青野賢一”さんのトークショウの模様その2。





カネコヒデシ(以下 カネコ):青野さんは、どなたか影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?

青野賢一(以下 青野):もう知っている人はよく知っているんですけれど、”YELLOW MAGIC ORCHESTRA(以下 YMO)”ですね。
“YMO”は1978年にデビューして、79年に1回目のワールドツアーをやって、80年に2回目のワールドツアーをやったんです。
その80年のツアー最後の武道館ライブをテレビでオンエアしていたのですが、ボクは、当時、そのテレビを見て、、、音楽もファッションも衝撃的でしたよね。そこから輪をかけて、ファッションと音楽、あと文学や映画にズズズッと入るキッカケでした。
ファッションとは、もともと母がパタンナーをやっていたので、近いところにはいたんですけれどね。

菊池武夫(以下 菊池):『ソウルトレイン』というテレビ番組があったじゃないですか?
あれに”YMO”が出てて。。。

カネコ:出てましたね。

青野:口パクで、”Archie Bell & The Drells”の「Tighten Up」をやったんですよね(笑)。
あれは『ソウルトレイン』がブラックミュージックの殿堂だからというので、シャレ半分、リスペクト半分でやったんですよね。


YMO「Tighten Up」 in SOULTRAIN




カネコ:アナログ盤にもなってますよね。

青野:12インチと7インチがあります。

カネコ:さて、ココでおふたりが影響を受けた曲を聴いてみましょうか?
まずは、タケ先生の影響を受けた曲です。




ソニー・ロリンズ「Softly As In A Morning Sunrise(朝日のように さわやかに)」
『Night at the Village Vanguard』




カネコ:コチラがタケ先生が影響を受けた曲ということですが。

菊池:そうなんです。あまり朝日の感じがしませんけどね(笑)。





カネコ:まあ、夜の感じですよね(笑)。

菊池:この曲はジャズの名曲で、ありとあらゆる人がこの曲をカヴァーしているのですが、ひとりひとり捉え方がちがうんですよね。いまの人は、ジャズを聴いている人があまりいないから分かりづらいかもしれませんけれど、ジャズの良さは曲よりも演奏が主なんです。
だから、、、その辺の問題を語ればいくらでも語るけれど、つまらなくなっちゃうからこの辺で(笑)。

カネコ:いやいや(笑)。
時間がゆるすかぎりかたっていただきたいです。

菊池:タイミングというか、音楽に対する体のうごかし方とか、そういうのが影響あると思うんですよ。でも、やっぱりね、黒人の人とはちがう。とくに日本人は。
その体のウネリのような、リズムと言ってしまうけれど、音楽が人間そのものみたいな感覚がジャズにはあるんです。だから、人が動いているときの動きみたいな感覚を感じる。
若い時はそれがすごく好きだったんですよね。

カネコ:ちなみに、モダンジャズはどなたかに教わったのですか?どこで知ったのでしょうか?

菊池:教わったんじゃなくて、聴いた途端にコレしかないな!って思って。モダンジャズは、『FEN』というアメリカ軍がやっているラジオ局があって、それで聴いたのが最初です。

カネコ:『Far East Network』ですね。

青野:極東放送ですよ。

カネコ:家にレコードがあったりもしたのですか?

菊池:古いジャズのレコードはたくさんあったんですが、モダンジャズはなかったんです。
『FEN』は中学生くらいから夜に聴いていて。新しい音楽をいろいろとやってましたよね。

青野:『FEN』は、僕の時代でも日曜の夜とかにジャズの番組をやってましたね。

カネコ:ボクも若いときに聴いてました。
ジャズだったり、ロックだったり、さまざまな知らない曲がかかるので、すごく音楽の勉強になりましたね。

菊池:プレスリーをはじめて聴いたのも『FEN』なんですよ。

青野:ちなみ、ジャズに触れたキッカケは、ご本にも書かれていましたが、お家にアメリカから将校夫妻が住んでいて、その方が出る時にジャズのレコードをのこされていったことなんですよね。

菊池:そうです。のこしていったのがジャズのレコードだったんです。

青野:そこからジャズ喫茶にいくようになられたコトがご本のなかに書かれていましたね。しゃべっていると怒られるあのジャズ喫茶ですよね(笑)。

菊池:ヒドかったですよ。「出てけ!」って(笑)。

青野:いまじゃ考えられないですよ。
でも、ジャズの緊張感ってありますよね。
プレイヤー同士のテンションの高さみたいな。

菊池:すごく感じます。

青野:たぶん、ジャズ喫茶をやってらっしゃる方って、その緊張感を疑似体験したいし、させたいしということで、あの空気を出しているんじゃないかなと、思いますね。

カネコ:なるほど。
では、つづいて青野賢一さんが影響の受けた曲をどうぞ。




YMO「ジャム(Pure Jam)」
『テクノデリック(TECHNODELIC)』




カネコ:もう青野さんといえば、コレですね!

青野:YMOです。

カネコ:コチラは『テクノデリック』というアルバムからですね。





青野:1981年のアルバムです。
当時は、「ライディーン」が、、、「ライディーン」だけはみなさんご存知だと思うんですけれど、それが1979年のアルバムに入ってて、それが大ブレイクしたんです。その後、『BGM』というめちゃめちゃ暗いアルバムをつくって、その次に出たもっと暗いアルバムがコチラです(笑)。
サンプラーというものは、いまはポピュラーですけれど、当時はそんな技術はまだまだの時代で、何秒サンプリングをするのに膨大なデータを読み込ませないといけないみたいな、けっこう大変な時代だったんですよ。このアルバムはそういう時代に、”YMO”がはじめてサンプラーを大胆に導入したアルバムなんです。バリのケチャとかをサンプリングしていたり、すごく実験的で、暗い。
とりあえず、全曲好きなんですけれど、今回はこの曲を選んでみました。

カネコ:以前、坂本龍一さんにお会いしたときに、ボクが「アルバムの『テクノデリック』がすごい好きなんですよ!」と言ったら、「ボクもです!」っておっしゃってましたね。

青野:このアルバムは、彼らがけっこう好きなことをやっていて、やりきった感のあるアルバムなんですよ。
しかもコレ、中学校のときにリアルタイムで買ったレコードを、いまだに使っています(笑)。

菊池:そりゃスゴい(笑)!

カネコ:なるほど。
ワタクシからは、ちょっとサプライズで、「タケ先生といえばコレでしょう!」という曲を、ココで聴いていただきましょう。




井上堯之『傷だらけの天使のテーマ』



菊池:井上さんだ(笑)!





カネコ:そうです!
タケ先生といえば、ボクの中ではやはり『傷だらけの天使』なんです。残念ながら、再放送世代ですけれどね。
やはり、萩原健一(ショウケン)さんが着ていた服がカッコよかったですよ。いまタケ先生もおっしゃったんですけれど、このジャケットもショウケンさんが着ている服は『MEN’S BIGI』の服なんですよね。





菊池:そうです。

青野:当時、みんなオープニングを真似してましたよね、ゴーグルつけて寝たり(笑)。

カネコ:牛乳ビンでガバーって飲んで(笑)。

青野:牛乳ビンのフタを口で開けるんですよね。それを真似すると、テーブルがびしゃびしゃになっちゃう(笑)。
コンビーフも固まりのまま食べるみたいな。
誰しも一度は経験していると思います。





カネコ:オープンニングはホントにカッコよかったんですよね。

菊池:いやー、よく放送中止にならなかったなってくらい、はちゃめちゃでしたよ(笑)。

青野:むかしのテレビはおおらかでしたよね。

菊池:おおらかでしたね、ホントに。

カネコ:本にもやはりショウケンさんのお名前が出てきますけれど、ちょっと前にお会いされたんですね。

菊池:いまでもときどき会いますよ。

カネコ:そういえば、本の中で名前が出て来る方で意外だったのは、”矢沢永吉”さんなんですよ。

青野:出てきてたね。

カネコ:矢沢さんとはご家族ぐるみでのお付き合いとか。

菊池:そうです。
若いときから知っているんだけれど、ただ70年代って、いつ会ったとか、、、ほとんどはっきりした記憶がないんですよ。
でも、知り合ってからはけっこう長いです。



(その3につづく)







□プロフィール

・菊池武夫





1939年 東京千代田区に生まれる。
1962年 文化学院 美術科卒業。
1964年 原 信子 アカデミー卒業。
1967年 注文服の制作をスタート。
1968年 コマーシャル用のコスチュームデザインやファッション写真の衣裳制作を手掛ける。
1970年 パリでの海外生活などを経て友人と(株)BIGI設立。
1975年 (株)MEN’S BIGIを設立。
1976年 前年秋より放映のドラマ「傷だらけの天使」で萩原健一の衣裳をデザイン。
1980年 パリに(株)MEN’S BIGIヨーロッパを設立。同年パリにてコレクションを発表。
1987年 MEN’S BIGIを退社。同時に(株)ワールドに移籍『TAKEO KIKUCHI』を発表。
1990年 自らのプロデュースによる複合商業スペース TK ビルディングを西麻布にオープン。
1996年 監督・王家衛、主演・浅野忠信による短篇映画 「wkw/tk/ 1996@7′55″hk.net」をプロデュース。
1999年 『TK TAKEO KIKUCHI』 『TAKEO KIKUCHI SCULPTURE』を発表。映画「鮫肌男と桃尻女」で主演・浅野忠信の衣裳をデザイン。
2002年 6年ぶりに東京コレクションに参加。
2004年『TAKEO KIKUCHI』のクリエイティヴ ディレクターを後任に引継ぐ。
2007年 自らのディレクションによるブランド『40CARATS&525』スタート。
2012年 『TAKEO KIKUCHI』クリエイティブディレクター就任

『TAKEO KIKUCHI』オフィシャルサイト:http://www.world.co.jp/takeokikuchi/



・青野賢一





〈BEAMS〉 クリエイティブディレクター、〈BEAMS RECORDS〉ディレクター。「ビームス 創造研究所」に所属し、執筆、選曲、展示の企画運営、ウェブディレクション、大学や専門学校での講義などを通じ、ファッション、音楽、文学、アートなどを 繋ぐ活動を行っている。2010年には、初の著作集『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)を発表した。選曲家、DJとしては1987年より活動を開始し、 音楽と触れ合うことのできる様々な空間において、ジャンルや年代に囚われない良質の音楽を提供している。山崎真央(gm projects/AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)との選曲ユニット「真っ青」の一員でもあり、同名義でピアニスト/作編曲家・中島ノブユキの 「thinking of you」のリミックスも手掛けた。
http://www.beams.co.jp/
https://twitter.com/kenichi_aono
https://www.facebook.com/kenichi.aono




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Photo by 本田 謙/KEN HONDA


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