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Interview : November 15, 2012 @ 13:26

菊池武夫 × 青野賢一 ── 『フクミライ』トークショウ(その3)



「フクシマからミライを」をモットーに、2012年7月から8月にかけていわき市、福島市、郡山市、会津若松市と、福島県内の主要都市4ヶ所をまわり、カルチャーを発信した”フクシマ ブンカハッシン プロジェクト『フクシマ+ミライ=”フクミライ”』”。


コレは、2012年8月10日に開催された『フクミライ@こおりやま』にて、「ファッションと音楽」をテーマにおこなわれた、デザイナー”菊池武夫”先生とビームス”青野賢一”さんのトークショウの模様である。

今回は、その最終回。


彼らのトークからは、ファッションや音楽にたずさわるヒトだけではなく、コレからの現代を生きぬくための”ヒント”がかくされているとおもうので、ぜひともじっくりと読んでみてほしい。






カネコヒデシ(以下 カネコ):さて、おふたりにとって音楽とは何でしょうか?
ちょっとザックリすぎる質問ですけれど(笑)。

青野賢一(以下 青野):むずかしいことを聞くねー(笑)。
なんですかねー。。。
ボクは、普段iPodとかも持ってなくて、、、持たないようにしていて、イヤホンで音楽を聴いたりとか、移動中もいっさい聴かないし、家でもほとんど無音がおおいんです。聴くときは気持ちを持っていかれてしまうので、”ながら聴き”ができないんですよ。そういう感じなので、”真剣に向き合うモノ”ですかね。

カネコ:なるほど。
タケ先生はいかがでしょう。

菊池武夫(以下 菊池):ボクもね、いま家でそんなに音楽は聴いていないんです。
本にも書きましたけれど、1997年くらいから音楽と映画への関心がうすれてしまったんですよ。
その前までは、ヒップホップがとくに好きで、そのほか流行っているものもなんでも好きだったんですけれど。たとえば、”ローリン・ヒル”。彼女のレコードを聴いたときはビックリしましたよね。”2PAC”なんかも大好きで、どっちかというとラップが好きな時代があったんです。

カネコ:なるほど。

菊池:それが97年以降、ぜんぜん興味がなくなっちゃって。。。

カネコ:なにか理由があったりしたんですか?

菊池:なんかね、あまりココロに来ないんですよ。つくり方がたぶんそうなんだと思うんですけれど、ヒットしたのも全部寄せあつめてつくっているような感覚。
それがね、新鮮さをほとんど感じられなくなったんです。それからだんだん聴かなくなっちゃて。。。

青野:わかっててつくっているような感じですよね。

菊池:そうです。ただ、ロンドンでテレビをつけたときに、偶然”エイミー・ワインハウス”がコンサートをやっていたのですが、彼女、ほとんど立ってられないくらいの状態でうたっているんですよ。その歌が猛烈に体にはいったというか、、、それはビックリしましたね。

青野:彼女、むかしのソウルミュージックを歌っていたりして、かなりイイですよね。
“ポール・ウェラー”と一緒に”マーヴィン・ゲイ”の「what’s going on」をカヴァーした曲は、”ポール・ウェラー”もかすんじゃうくらいカッコよかったです。

カネコ:“エイミー・ワインハウス”、さすがですね。
では、ご自身のさまざまクリエイション活動に関してのお話ですが、3.11の大震災前と、震災後で、変わったものはありますか?

菊池:ボクは子どものときに戦争体験者なんです。5歳くらいのときに、東京に焼夷弾といって、木造建築に火をつけるために米軍が落とした爆弾のひとつなんですけれど、それで東京がほとんど焼け野原になったというのを体感しているんですね。
その当時って、灯火管制とか、いわゆる電気の光が外にもれないよう電気をつけけはいけないという政府からの”統制”があって、それと3.11の直後の状況とがすごくダブりましたよ。ホント、戦争がおきたような感覚。
ただ、戦争を体験をしているので、「まあ、勇気を持って我慢をすれば乗り越えられる」という感覚がありました。
コレはボクらの歳じゃないとまったくわからない感覚かもね。





カネコ:たしかに、その感覚はボクら30代以下の世代にはないですよね。
青野さんは、なにか変わったことはありますか?

青野:アウトプットに対しての影響ということでいうと、地震と原発事故のあとって、いまもそれがつづいてますけれど、「おまえシロなの?クロなの?」みたいな、そういう論調にすごく違和感があるんですよ。「シロでも、黒でもない、間にあるグレーなところにも真実もあるのでは?」とボクは思っていて、そこをガサッと切り捨てる論調がつづくのは、シンドイなという感じがあります。
ジャンルとか、つたえる内容は別ですけれど、自分ではなるべくそういう部分をつたえていこうとはしていますね。
そのグレーの美しさって、けっこう日本的だと思っていますから。

菊池:そうですよね。

青野:白い紙に墨で描く水墨画のあの濃淡の感じというのは、すごく日本の情緒的な美しさがあるんじゃないかなと。
なんとなくそこを意識するところはありましたね。

カネコ:なるほど。
では、ファッションについてですが、今後ファッションはどんなものになっていくと考えていますか?

青野:それは、、、『朝生(朝まで生テレビ)』でも答えが出ないような質問だね(笑)。
どうなっていくんですかねー。
すごくファスト化している部分と、よりパーソナルなトコロにいっている感じの部分と、それが二極化している感じはありますよね。
パーソナルなところで、いまいちばんオモシロいなと思っているのは、オーダーメイドとか、それこそ菊池さんが最初にやられていたようなファッション。お客さんから注文をいただいてつくるようなことですね。その人のための服というのは、その人にとっての希少価値が高く、要するにインフレが起きていない状態という感じなんです。そういう意味ではそこに可能性があるんじゃないかな、と。一昔前だとお金持ちの人しかダメだったけれど、技術の進歩で、すこし敷居が下がったワケですし。
それに、いまはスーツとかだけじゃなくて、もっとこまかいもののオーダーメイドができるようになったじゃないですか。
そういうところから、”あなたとわたし”という、よりパーソナルな関係のなかで生まれてくる服が、もうすこし増えてもオモシロいかなと思っています。

菊池:ボクもまったくおなじ意見で、いまは両極がハッキリしていますよね。
ファストファッションがすごく出ていて、便利でいちばんいいところにあるからで仕方がないんですけれど、やはりそれだけではモノ足りない。
みなさんが生きている人生、いろいろとちがうし、個人個人の思い入れというのもたぶんあると思う。それにあう洋服を欲するということもあるんじゃないかと思います。だから、よりパーソナルな方にある面はすすむ。
そうじゃない方は、基本的にはいろんな意味で効率のよさというのがベースだと思います。





青野:あと、服を着ていく場所、オシャレをしていく場所が増えるとイイですよね。

菊池:いちばん必要ですよね。

青野:“張りあえる感じ”って、あるとイイですよね。
いまって、”格好わるく見えないこと”が良しとされるような風潮があって、、、要するに”オシャレ”じゃなくて、”格好わるくない”みたいな。
そうではなく、「オシャレってたのしいよ!」ということが体験できる場所とか、時間みたいなのがもっともっと増えるとイイと思います。

菊池:いいですよね。

カネコ:まさにこのイベント『フクミライ』のコンセプトもそうなんですよ。
フクシマでもオシャレをする場を増やそうというのが、ボクの魂胆です。

青野:良い心がけだよ、すばらしいです。

カネコ:ありがとうございます。
ボクが思っていたことを言ってくださったので、ドキっとしましたけれど(笑)。

青野:あ、そうなの(笑)?

カネコ:ありがとうございます。
最後に、クリエイティブな世界を目指しているわかい世代に、現代を生きぬくためのアドバイスをおしえていただけますか?

菊池:やはり、自分の思っているものを突きすすむことだと思います。
それは勇気のいることでもあるし、現実でいえば生活の問題とか、そういうのも当然かかわってくるのですが、やはりわかいときは自分を突きすすむ情熱みたいなものを外へ表現することが必要だと思うんですよね。だから、自分の思っていることを信じてほしいです。
デザインだったら、デザインの世界もそうだし、ほかのすべての世界もそうだと思います。デザインは、洋服だけに終わらなくて、いろいろなところに必要とされているし、それはゆくゆく平和なことにもつながっていくんですよね。





カネコ:ありがとうございます。
青野さんはいかがでしょう?

青野:あまり”あざとさ”というか、”テクニック”だけを身につけていかない方がいいんじゃないかなと。
いまはいろいろな情報がたくさんあるので、近道しようと思えばいくらでも近道を見つけられちゃうんですよ。ただ、その近道がはたしていいのか悪いのかということを考えないといけないと思うんですよね。
たとえば、いまって大学のレポートとかコピペで、出している人もいるみたいで。。。

カネコ:そうみたいですね。
自分で辞書をしらべないで、「ウィキペディア」でしらべるみたいですね(笑)。

青野:そう。「ウィキ」のコピペでレポートを書いて、「20分でできました!」みたいな、けっこうそういうのがあるみたいです。だけど、担当教授は分かっているので、そういう近道をしない方がいいのかなって。
音楽もそうですけれど、テクニックがあるからってココロにひびく音楽ができるかというのは、別の問題ですからね。
洋服もそうだと思います。すごくディテールのテクニックに力をふりそそいでも、全体としての服のたたずまいがないと着ようと思わないし、着てもカッコよく見えない。
大局的にみられる視点を持ちつつ、変に近道しないで、正面からぶつかってみるといいんじゃないかなと思います。

カネコ:なるほど。
おふたりとも、本日はありがとうございました。

菊池:ありがとうございました!

青野:どうもありがとうございます。







(おわり)






□プロフィール

・菊池武夫





1939年 東京千代田区に生まれる。
1962年 文化学院 美術科卒業。
1964年 原 信子 アカデミー卒業。
1967年 注文服の制作をスタート。
1968年 コマーシャル用のコスチュームデザインやファッション写真の衣裳制作を手掛ける。
1970年 パリでの海外生活などを経て友人と(株)BIGI設立。
1975年 (株)MEN’S BIGIを設立。
1976年 前年秋より放映のドラマ「傷だらけの天使」で萩原健一の衣裳をデザイン。
1980年 パリに(株)MEN’S BIGIヨーロッパを設立。同年パリにてコレクションを発表。
1987年 MEN’S BIGIを退社。同時に(株)ワールドに移籍『TAKEO KIKUCHI』を発表。
1990年 自らのプロデュースによる複合商業スペース TK ビルディングを西麻布にオープン。
1996年 監督・王家衛、主演・浅野忠信による短篇映画 「wkw/tk/ 1996@7′55″hk.net」をプロデュース。
1999年 『TK TAKEO KIKUCHI』 『TAKEO KIKUCHI SCULPTURE』を発表。映画「鮫肌男と桃尻女」で主演・浅野忠信の衣裳をデザイン。
2002年 6年ぶりに東京コレクションに参加。
2004年『TAKEO KIKUCHI』のクリエイティヴ ディレクターを後任に引継ぐ。
2007年 自らのディレクションによるブランド『40CARATS&525』スタート。
2012年 『TAKEO KIKUCHI』クリエイティブディレクター就任

『TAKEO KIKUCHI』オフィシャルサイト:http://www.world.co.jp/takeokikuchi/



・青野賢一





〈BEAMS〉 クリエイティブディレクター、〈BEAMS RECORDS〉ディレクター。「ビームス 創造研究所」に所属し、執筆、選曲、展示の企画運営、ウェブディレクション、大学や専門学校での講義などを通じ、ファッション、音楽、文学、アートなどを 繋ぐ活動を行っている。2010年には、初の著作集『迷宮行き』(天然文庫/BCCKS)を発表した。選曲家、DJとしては1987年より活動を開始し、 音楽と触れ合うことのできる様々な空間において、ジャンルや年代に囚われない良質の音楽を提供している。山崎真央(gm projects/AKICHI RECORDS)、鶴谷聡平(NEWPORT)との選曲ユニット「真っ青」の一員でもあり、同名義でピアニスト/作編曲家・中島ノブユキの 「thinking of you」のリミックスも手掛けた。
http://www.beams.co.jp/
https://twitter.com/kenichi_aono
https://www.facebook.com/kenichi.aono




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Photo by 本田 謙/KEN HONDA


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