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ブラインドからのぞき見た世の中 : November 15, 2012 @ 13:18

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.76『司法は寝て待つ』



2012年11月7日、1997年に東京電力の女性社員が殺害された事件の再審=やり直し裁判で無罪が確定し、犯人とされ、15年もの間、服役していたネパール国籍の”ゴビンダ・プラサド・マイナリ”さんは晴れて自由の身になりました。


かなーり時間も経ってしまっていて、事件の概要を知らない方もおおいと思うので、簡単に説明をしますと。。。

1997年3月19日、東京・渋谷の神泉にあるアパート空き室で東京電力につとめる女性社員(当時39歳)が遺体で見つかり、警察は彼女と顔見知りで隣のビルに住んでいたネパール国籍の元飲食店従業員”ゴビンダ・プラサド・マイナリ”氏を犯人とみなし、逮捕。

その女性社員というのは、当時の渋谷道玄坂界隈ではかなり有名な街娼で、昼間は大企業東京電力の超エリート幹部社員、夜は娼婦とまったく別の顔を持っていたことで、当時はかなり大々的にマスコミに取り上げられていました。


ワタクシ、まだ大学生でしたが、テレビのワイドショウがかなり大騒ぎしていたコトを覚えています。


犯人とされたゴビンダ氏は、捜査段階から一貫して無実を主張。
東京地裁では無罪にもかかわらず、東京高裁では”女性と性的関係を持った後に絞殺し現金約4万円を奪った”として無期懲役。
逆転有罪判決のときには、「神様、ぼくはやってない」と叫んだコトはあまりにも有名な話しですな。
そして、2003年11月に最高裁で、状況証拠のみだけで強盗殺人罪で刑が確定。

その後も再審請求をしていたもののなかなかとおらず、彼は、先日の再審無罪判決まで、約15年もの間、勾留と服役を強いられていたという、かなーりナゾで、闇の深ーい事件なのですよ。


いわゆる、『東電OL殺人事件』というやつですね。
“園子温”監督の映画『恋の罪』のネタにもなっている、あの事件ですな。


再審請求がとおった理由は、現場で採取されたとある物証のDNA鑑定の結果が、彼のDNAとはちがったものが出てきたから。

ちなみにこの物証というのも、別に新物証が出て来たワケではなく、もともと検察が押収していたものを検察側がDNA鑑定を必要ないとして拒否したから、鑑定をしていなかっただけのこと。

再審では、訴えていた検察側までもが最後に無罪を主張してしまった、、、なんともお粗末で、ありえない事件なんですな。


この事件は、”佐野眞一”氏によって『東電OL殺人事件』という本にもなっています。
“佐野”氏といえば、例の『週刊朝日』の「ハシシタ」記事を書いて、あっさり『週刊朝日』側が橋下大阪市長に謝罪してしまったうえに、社長が責任をとって辞職してしまったという、あの渦中の方ですよ。


今回の件、布川事件とともに日本の司法制度を大きくゆるがす、日本史上最大級の”えん罪事件”となってしまいましたが、問題は、「じゃあ、犯人はいったいダレで、警察、検察は、なぜそこまでゴビンダ氏を犯人に仕立てあげたかったのか?」ってところ。


被害者の女性はどんなヒトだったのか。

彼女は、東京電力東京本店の企画部経済調査室というところに所属しており、当時、女性ではめずらしい幹部社員、つまり超のつくほどのエリートだったんです。
というのも、大手企業の女性社員は、どんなに優秀でもお茶くみやコピーがメインの雑用がおおかった時代でしたからね。そんななか、とある法律が改正され、初の女性総合職として入社できた1期生だったようです。
そのときの直属の上司は、”勝俣恒久”現会長だったみたいですな。


ちなみに、彼女の父も東電の幹部で、当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にもかかわる立ち場にいた方らしいのですが、あるとき急に反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになって、上級役職から降格したようです。
彼はその後、すぐにガンで亡くなってしまったとのこと。

彼女も父親同様、社内で反原発を説き、自身が書いた「原発代替え地熱発電に関する論文」は、とある賞を得るほどのものだったとか。


そんな日本のミライを担えるほど優秀だった彼女に、いったいナニがあったのでしょうかね。


佐野氏の著書『東電OL殺人事件』では、被害者の女性は”墜ちた”と表現しています。
彼女は、ホントに”墜ちた”のですかね。


「消されたライセンス」じゃないですが、彼女はナニから消されたのか。。。


検察には、ぜひともこの事件の真相を解明してほしいものですな。




明石家さんま「真赤なウソ」



旅路 良



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