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ブラインドからのぞき見た世の中 : June 16, 2014 @ 15:09

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.114『解釈の自由化』



“解釈”は、ヒトの自由だとおもうのです。


だからこと、解釈によって、ヒトによってよかったりするモノ/ゴトが、
ヒトによってはダメなモノ/ゴトになったりします。


しかし、法律の解釈が自由すぎると、
やはりいろいろと難しい部分が生じますよね。


もともと法律には曖昧に、おおまかに書かれている部分があります。

それは、ヒトによって自由に判断する部分をつくって、
柔軟性を出しているワケです。

最初からギチギチでは、
動きがとれなくなってしまうコトが生じますからね。

法律と規律はちがうワケです。

ワレワレ人間は、ロボットではないのでね。

そこら辺は、モラルを守って、頭をつかって考えましょうよ!という、
法律的”解釈”なワケですよ。


そんなワケで、いままでいいとされていたものが、
解釈によって急にダメになった最近の例として、
ダンスフロアーに対する風営法の適用の例がありますよね。

もともとの解釈的には、いままで良かったから、
ダンスフロアーという文化だったり、営業形態が成り立っていた、、、
ハズなワケです。

しかし、ある時から、急にダメなモノになってしまいました。


ちなみに、今年の夏から、風営法を配慮して、
一部の海の家ではライブはおろか、
DJですらできなくなったりする場所もあるらしい。

もちろん、音的な苦情の部分もナキニシモアラズですが。

良いか、悪いかの判断が自身で行うしかない状況だったりするワケです。

すると、最悪の状況などを考慮して、自粛するという行動にでてしまう。


しかし、判断がバラバラすぎて、
どうしようもない状態になったとき、
最終的にソレらを判断する場が司法、裁判所です。


ダンスフロアーに対する風営法において、
最終的な判断を裁判所に委ねたのが、
先日の大阪のクラブ”NOON”の例。

裁判の内容についてどんなものだったのかは、
ご自身で調べていただくとして、
今回の判決のお陰で、風営法におけるダンスフロアーの解釈が、
ある程度は分かりやすくなったのかもしれないですよね。

そうやって、あたらしくルールをつくるコトで、
解釈をせばめて、問題を解決させたり、
すくなくするというのはよくあるコトです。


しかし、現状、まったくよく分からない状態になりはじめているのが、
「集団的自衛権」の容認の件。

自衛隊の海外派兵や、武器輸出などを、
憲法9条のいままでの”解釈”を変えるコトで容認しようという動きです。

戦後の国会の場において、
トキの内閣がこれまでに幾度となく、
9条の解釈について話し合いをもち、
ある程度、統一されてきていたハズなんですけれどね。

しかし、さまざまなニュースをみていると、
モノゴトが内閣のみで進行してしまっているようで、
「アレ!?裁判所(司法)の意見は?」とか、
「三権分立はどうなっているの?」とか、
いままでに守られてきた(ように見えた)部分が、
守られていないよね!と思えてしまうコトばかり。


“国”という組織において、国会、内閣、裁判所のバランスはとても重要。

本来なら、内閣=国会=裁判所の関係が、
このトコロ、どうも内閣>国会>裁判所という感じで、
まったくもってバランスが崩れているような気がしてなりません。


あまりにも内閣の横暴に、国会と裁判所が翻弄されているようにも感じます。

まあ、言ってしまえば、殿サマによるご乱心ですよ。


世の中、変えていいコトと、変えちゃいけないものもある。

「ならぬモノは、ならぬ」の精神は、
個人的にはあまり好きではありませんが、
憲法9条の解釈においては、やはり変えるべきではないのかなと。

解釈を変えるのであれば、法律自体を変えるべきです。

もちろん正式な手順をふんでのはなしですけれどね。


今回の「解釈変更による集団的自衛権の容認」においては、
まさに内閣による”解釈の自由化”がはじまったのだと考えます。

解釈の”自由”はいいのですが、”自由化”はいいとはおもえない。


ソレって、すでに”国”という組織ではなくなってしまっているような気がしますが、
みなさんは、どのようにかんがえますか?




奇妙礼太郎トラベルスイング楽団「わるいひと」



旅路 良



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