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ブラインドからのぞき見た世の中 : February 28, 2015 @ 20:01

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.131『□いモノを○く』



さて、先日よりナゼか問題になっている
例の名古屋の小学校教諭が某国?某集団?での
人質殺害写真を見せた授業について。

そもそもコノ件、、、さまざまな情報をみても、
この教諭のナニが問題で、ナニが悪いのか、
まったくもってわからないのです。


ムリヤリ見せたというのであればアレですけれどね。
でも、この教諭が生徒に対して強制的な行為をしたワケではない。

どちらかというと「観たくないヒトは観なくていい」と、
最初に彼ら自身に「選択させた」というのです。

この教師の行為には共感をもてますね。


コレって、子どもに”自分でナニかを選ばせる”という、
選択権の重要さですよ。

自分の生徒に対して、
キチンとオトナなあつかいをしているとおもいます。

それに、写真を見せた後に、
体調を崩した生徒もでなかったワケですし。


そして、注目すべきはこの「情報化が進むことによる利点と問題点」というテーマ。

いまの20代、30代、40代に、このテーマについて話せと言っても、
キチンと話せるヒトはほとんどいないじゃないでしょうかね。

しかし、写真を見たあとの生徒たちが、
キチンと議論していたという話もオドロキです。


話せるのに「コドモだから話せないだろう」という、
この「コドモだから〜」という、
オトナのエゴ的なまちがった判断が横行してしまっている現代社会。

ぶっちゃけ、”年齢的”な理由だけで、
彼らの人権を無視するようなヒドい扱いをしているオトナもいるワケですよ。


もちろん判断できないものもありますよ。
それは経験を積んでいないというだけのコト。

経験も積ませず、横暴的に「判断できない!」って言っている方が、
まちがっていませんかね。

そんなのオトナとされている20歳以上のヒトだって、
経験がなければムリなモノをありますから。


むしろ、この”まちがった思い込み”からはじまる抑制による影響の方が、
コワいですよ。


どうも『宮﨑勤事件』以降、そういう残虐なものは悪影響をあたえる、
みたいな風潮になってしまってますよね。


たとえば、広島平和記念資料館のマネキン撤去の話や、
『はだしのゲン』回収の話なんかも、おかしくないですか。

いま原爆や戦争の悲劇をどうやってつたえていくかというのが問題になっていますが、
写真も例もなく、文章やかたりべさんのコトバによるイメージだけというのも、
ちょっとむずかしいのでは。

もちろん、見るだけじゃなくて、
ソレについて考えるという行為がいちばん重要なんですけれどね。

教育って、そういうコトなんじゃないでしょうか。


それは学校教育だけが教育ではなく、
本来なら家でヤレよ的な部分だとおもうんですけれどね。

なかなか学校まかせで、
家庭ではやっていないというのが現状のようです。


「転ばぬ先の──」とはちがう、
まちがったコドモの守り方をした
「箱入りカルチャー」になってしまっているような気がしますよ。


ちなみにそういう残虐的なものを見せなくなって、
残虐的な事件が減ったり、なくなったりしたのかというと、
そうでもなさそう。

先の佐世保の女子高生による老婦人殺人事件なんかもありましたしね。

アレこそ、きちんとその行為が残虐なことで、悲劇的なことなんだと、
教えて、考えさせなかったオトナに責任があるとおもいます。


そういえば、こんな話もありました。。。
沖縄は与那国島の自衛隊配置の島民による住民投票。

「配備賛成」が6割近くを占める結果になりましたが、
この投票には、島の中学生も参加させたとのコト。

しかし、「彼らには、国防に関して判断できない」という理由から、
中学生を参加させたコトを批判しているヒトがいました。

「なんて失礼なことを言うオトナなんだ」とおもいましたよ。
むしろ、ソッチの方が、自分たちで決めたという責任を教えられるワケです。

なぜ、考えられる人間を育てようとしないのか、、、ただただ疑問ですわ。

現に例の写真を見た小学生ですら、自分たちで議論しているワケですよ。


名古屋市教委のオトナですら、
「国内のメディアも報じない残虐な画像を
発達段階の子どもたちに見せたのは大きな問題」って、
国内のメディアがまちがった抑制をしているのかも
という考慮も判断もしない状態なワケです。

見たくないもの、クサいモノにすぐフタ文化のニッポン。


悲劇を悲劇としてつたえることが、今後の平和につながっていく。
基本的なことです。

そして、そこから考えるということがもっと重要。

もちろん、それは”表現の自由”的な要素にもつながっていきますが、
悲劇を悲劇としてつたえられなくなる、
□いモノを□でつたえられないカルチャーこそ、おそろしいですよ。

「戦争とは悲劇なんだ」と伝えないカルチャーの国が、
また戦争をはじめるワケです。


あの名古屋の小学校の彼らや与那国の投票に参加した中学生が、
我々の年代になったときのニッポンの社会情勢がたのしみなのですが、
みなさんは、どう考えましたか?




真心ブラザーズ「拝啓、ジョンレノン」




旅路 良



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