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Interview : April 19, 2017 @ 17:25

本当の”J.T.リロイ”とはいったい。。。──”ローラ・アルバート”インタビュー(前)



世界をおどろかせた謎の天才美少年作家”J.T.リロイ(JT Leroy)”をつくりあげた作家”ローラ・アルバート(Laura Albert)”が、映画『作家、本当の J.T.リロイ』の公開にあわせて緊急来日した。


『サラ、神に背いた少年』や『サラ、いつわりの祈り』、そして『かたつむりハロルド』という、ゲイカルチャー、ドラッグカルチャーに踏みこんだ作品を、世の中へと贈りだした”J.T.リロイ”こと”ローラ・アルバート”。

06年の『ニューヨーク・タイムズ』による暴露は、さまざまな反響を生みだし、ある種の社会現象にまでなった。


しかし、あれだけヒトビトを熱狂させた”J.T.リロイ”とはいったいナンだったのか。

すべてがウソだったのか、すべてがマコトだったのか、それとも。。。


今回は、映画『作家、本当の J.T.リロイ』のプロモーションで来日した彼女に、本作についてのお話を中心に、彼女のヒトとナリにせまってみた。








─まずは本作の中で通話音声をはじめ、写真など、過去の記録が大量に使用されていましたが、なぜ、そういった膨大な記録をのこしていたのでしょうか?


ローラ・アルバート(以下、ローラ):
もともとは、母がよくリールテープで記録するヒトでした。
母はアーティストでしたが、
ほかのアーティストのインタビューをしていて、
それはただのファンとして話を聞いているのではないと、
カレらに示すためにテープで録音をしていたんです。

それと、子どもというのはある種の神聖な領域をもって生まれてくるとおもうのですが、
それがナンらかの形で侵害されたとき、
ドチラが上か下かというモノを子どもなりに知ろうとするんです。
私の場合は、その手段が録音や記録するというコトでした。
例えば、、、親とのやり取りでそのときに言われたコトを後になって、
「そんなコトは言っていない!」となったとしても、
記録してあればわかりますよね。

ヒトはいろいろなことを忘れてしまいます。
そのときはすごく辛くてもナニがあったのかを忘れてしまう。
その”痛み”は自分という人間性のベースの一部になっているのですがね。
ヒトによってはそういうコトは忘れたいと思うのでしょうが、
わたしの場合は、ナゼ、そういう風になったのか?を理解したいんです。
それが記録をすることによって、
自分のいまの症状、状態を理解できるとおもっていました。

そういうココロの痛みからと、ジャーナリズムから、
さまざまな過去を記録をしていたんです。

あともうひとつの理由は、
記録をすることであとでコラージュができる、
アートでもあるという考えもありました。



─意図的に記録しはじめた理由のなかに、世の中への不信感的な部分はありましたか?


ローラ:

いえ!
たぶん、わたしは元からそういう風に生まれついたのだとおもいます。
たとえば、両親がいつも絵を描くようなヒトだったら、
子どもにとって絵を描く行為は普通のコトですよね?
わたしにとっては、母がいつも記録をしていたので、
世の中への不信感というよりもそういうものなんだとという考えからです。

母はストーリーテラーでもありましたし、
ユダヤ系だったので”ホロコースト”の生存者へのインタビューもしていました。
彼女にとっての記録は、必ずしも不信感や痛みだけではなくて、
好奇心の部分もあったとおもいます。

それに、そのインタビューが記録されていると、
“語る”という行為にもある種の意味が生まれると思います。
それがながく残るというコトを意識するコトで、
さらなるナニかが生まれてくるとかんがえますね。





─本作品を撮る前と、撮って完成して上映されるようになった後では、ご自身の胸中においてナンらかの変化はありましたか?


ローラ:
それはあります。
自分のなかでいろいろなものを統合するのに役に立ちましたね。
とくに”怒り”を手放す助けになりました。
そして、自分がやったことに対しての”責任”をとる助けにもなりました。
この作品のおかげで、いろいろなコトが完了したような気がします。

よく「アナタは自分の抱えているヒミツとおなじくらい、アナタは病んでいる」、
というコトバがあります。
わたしにはもう隠すようなヒミツがなかったので、
自分がもっていた記録物、すべてを”ジェフ・フォイヤージーク”監督にわたしました。

たしかにソレ自体はとても難しいコトでしたが、
自分に対しての”恥”を手放す助けにもなりましたね。
とくに性的だったり、肉体的だったりの虐待をうけて育った子どもには、
“自分はヒドい人間だ”と信じきっている部分があるのです。
私はもちろん悪いコトをしたのかもしれない。
でも、悪意をもってやったワケではないし、
その結果出てきたものは作品となって、
アートとなっていろいろなヒトの命を救ったのも事実なんです。
実際に、感謝のメールをもらったりもしていますし、
そういうモノを読んだり、そういうヒトたちの話を聞いたりするコトで、
自分の中に平和がおとずれる気がするんですよね。
そして、ダレかがまた私のことを攻撃したときに、
それらが自分を助けてくれました。



─もし、『ニューヨーク・ タイムス』に暴露されていなかったら、いまも”J.T. リロイ”だったとおもいますか?


ローラ:

たぶん、、、
私の方から『ニューヨーク・ タイムス』に言ったかもしれない。
“J.T. リロイ”とは、”シャム双生児(結合双生児)”で、
肺をふたりでシェアしているような状態でした。
最初は、”J.T.”の肺が強く、わたしのは弱かったけど、
いろいろなプロセスを通じて、わたしの方が強くなっていったんです。
そして、ひとりでやっていけるという状態になったとき、
男の子が現れなくなりました。
つまり、”わたし”として生きても大丈夫だと。

“キリスト”は”ユダ”が自分にとっていちばん近いヒトのひとりで、
カレが自分を裏切るとわかっていたけれど、
それが”為されなければいけなかった”んです。
ちょうど”ジェフ(夫)”はわたしにとっていちばん近いヒトで、
カレが”ユダ”の役目をしたワケです。
でも、カレはそうしなければいけなかった。
たぶん、わたしは自分では言わなかったし、もちろんサバンナも。

“J.T.”という人間は実在はしませんが、
生きつづけているとおもうんですよね。
以前、歴史家がアニメキャラクターの”バックス・バニー”について
「”バックスバニー”は実在していないけど生きつづけている」と言っていましたが、
ソレとおなじコトだとおもっています。



─たとえば、現代のようにSNSなどのインターネットが発達した時代において、当時の”J.T. リロイ”のようなコトはできるとおもいますか?


ローラ:

いまの時代は、むしろさまざまなアバターを持つのはわりと普通のコト。
だから、たぶんいまの子どもたちにとって、
当時の出来事は「フィクションだし、ナニが問題なの?」というコトになるのかなと。

とくに日本人はアバターをたくさんもっていますよね?
“公的な自分と私的な自分”、、、つまり”本音と建前”というのがあったりするので、
日本のヒトにはとてもわかりやすい話だったのかなとおもっています。

SNSなどのインターネットがある現代では、たしかにすぐにバレたかもしれない。
でも、私は「やろう!」とおもってやったワケではないのです。
結果的にそういう風になってしまった。
つまり、真珠貝がキレイなモノをつくろうとして、
真珠をつくっているワケではなく、たまたま殻のなかに入ってしまった砂や小石を、
痛いからいろいろな液体を分泌してたら真珠が出来てしまった、というコトで、
そういう苦しみから生まれてしまったモノというのとおなじ意味で、
アクシデントとして起こったコトなんです。



(後編へつづく)






2017年4月8日より新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開!

『作家、本当の J.T.リロイ』





監督:ジェフ・フォイヤージーク

出演:ローラ・アルバート/ブルース・ベンダーソン/デニス・クーパー/ウィノナ・ライダー/アイラ・シルバーバーグ/ほか


配給・宣伝:アップリンク

オフィシャルサイト:http://www.uplink.co.jp/jtleroy/


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※写真はすべて © Koji Aramaki


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