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ブラインドからのぞき見た世の中 : September 25, 2019 @ 17:23

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.307『自由ハッテン途上国』



えー、さてー、ラグビーWCがはじまって、台風の影響が大アリだった鬼の3連休も終わった今日このごろですが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?


ソレにしてもヒドい采配ですねー、今回の内閣カイゾー。

たしかにアベちゃんといえば、
政治的な能力もないのに、
仲がイイ?政権的にナニかと使えるヒト??
といういうだけで入閣させてきた過去。

ソレを「オトモダチ内閣」と批判されてきていたので、
そういった采配のヘタクソ加減というか、
ハッキリ言うと能力がナイというコトがわかっていたつもりですが、
今回の内閣はホントにナイですね、ナイ閣だけに(笑)


そんなオヤジギャグでゴマかすのはさておき、
あまりにもヒドすぎて落胆のひと言につきます。

そんな現状に憤りを感じつつも、
見据えるコトしかできないってのも、、、残念無念。

政治家も能力よりも人気稼業ってコトなのカモしれませんなぁー。。
芸能人かよ!


そんなこんなで、本題にはいりますが、
とくに「自由」についてこんなに連載的に書くつもりはなかったのですが、
ホンコンでは、いまだデモがつづいている現状というコトもあり、
あとは、個人的にもココ数年、いろいろとおもうことも多く、
というコトで、今回も「自由」について。


しかし、ホンコンのデモ。

ホンコン政府による「逃亡者条例改正案」に関しての正式撤回で、
状況が好転したんですけれど。
やはり、ホコサキが市民の「自由」を奪おうとする、
中国政府に向かいはじめた感じでしょうね。

先日、仕事でホンコンに行っていたヒトにお話を聞いたところ、
平日は特にデモ的な大きなモノゴトはなく、
週末にホンコンの方々はけっこうな方がデモに向かわれているというコト。
自分の住んでいる国?というか政府?
に対して感心があるってコトなんだと思います。

1989年の「天安門事件」でもそうでしたが、
中国の方は、
わりとそういうコトに対してキチンと意思表明をできるヒトが多いですよね。
ホント尊敬します。
もちろん、そうじゃないヒトもいるのもたしかだとは思いますが。


ソコに対してのわが国、日本。
「安保闘争」以来、ノンポリの方がラクってコトで、
なかなか意思表明がむずかしい感じになっていますよね。
もちろん、政治的な部分での話ではありますが。

ココ最近はとくに息苦しいですよ。

おかしいとおもうコトに対して、
「おかしいんじゃネ?」って発言した瞬間に、
ミョーに乱暴な人たちが介入してくる状況。

たしかに言うも言われるも自由ですけれど、
ただただ土足でヒトの家に入り込んでくるだけのヒトが目立ちます。
ナンなんでしょうかねー。


そういえば、先日、フと気づいたのですが、
シブヤ駅のハチ公交番前のゴミ箱が撤去されていました。

調べてみると8月の末くらいに撤去されたようです。

この夏前くらいから、
ゴミの量がハンパなく、
それにともなってか暑さもあって汚臭もヒドかったのはたしかですがね。

目立っていたのは、例のタピオカ飲料のゴミ。
ブームもあってか、捨てられている量がスゴすぎでした。
アレ、容器が大きいこともあって、
だいぶ残っているのに捨てられていたりしていましたからねー。
そりゃ腐ってヒドい臭いになりますがな。


あと、最近までいて、いまは減ったのですが、
ハチ公交番前で「外で飲む権利」を主張していたヒトたち。
カレらなのか、カレらじゃないのかワカリマセンが、
夜中の起きっぱなしのビールや酎ハイなどの空き缶の量。
ちょっとヒドかったんですよねー。
「ゴミくらい片づけていけよ!」というか、
それが出来ないなら「家で飲め!」って感じです。

その権利を主張するならば、
ゴミの処理まで考えてほしーなーというのが、
個人的に意見です。

まだチラホラとはその辺りで飲んでいるヒトはいますが、
一時期の群衆みたいな感じではなくなったので、
アレですけれど。。。


結局南極、ナニが言いたいのか?というと、
「自由の権利を振りまわすならば、
そことは関係のないヒトに迷惑をかけないように考えてよ!」
ってコトなんですけれどね。

なかなか自分の「自由」ばかりになって、
そこに気づかないヒトがおおいのかなー。

そのために、最終的にいろいろなモノゴトが、
「不自由」になっていっているような気がしてなりません。


そういえば、
池袋にある「自由学園」の創立者、羽仁吉一と羽仁もと子によれば、
「自由」とは「靴をそろえて脱ぐ自由」であるそう。
もちろん、その学園の理念の「自由」ではありますが。。

靴を乱暴に脱ぐのも自由ですが、
それは他のヒトに迷惑がかかるワケです。

でも、「そうなんじゃないかなー」と、
なんとなく腑におちる感覚を覚えたのはワタクシだけでしょうかね?


枠のある「自由」と、枠のない「自由」。
“フリーダム(Freedom)”と”リバティ(Liberty)”の違いに辿り着くわけですよ。

枠が小さすぎるのはよくないですが、
そこは自分の考えをもっているコトも必要かと。


そんなワケで、
ココ数回ほど、「自由」について、
ムダにダラダラと”自由”に書きつづってしまったワケですが(笑)、
なかなか「自由」ってモノは、
つくづくわが国の「自由」は幼稚であり、
「まだまだハッテン途上中なんだなあー」と、
ワタクシは思いましたが、
みなさんは、「自由」についてどのように考えますか?



思い出野郎Aチーム「繋がったミュージック」




旅路 良



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