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Editor's Eye : May 13, 2020 @ 21:27

さよなら、「山路」のよしこさん!



2020年5月2日、世は新型コロナウイルス感染拡大における緊急事態宣言下、ドロドロと混沌と不安のいりまじる2020年のゴールデンウィーク目前、トーキョーは阿佐ヶ谷にあった伝説のお店「山路」のお見送りへ。


「山路(やまじ)」とは、よしこさんというゲイのママがひとりでやっていたバー?飲み屋?である。

“やっていた”というのは、ママである”よしこさん”こと”山田好春”さんは2016年10月26日(推定)に亡くなられたからだ。

死因はとくに明かされていない、というか不明というコトらしい。

年齢は還暦をすぎていた、、、との話もウワサで聞いていた程度で、”山田好春”さんという本名を知ったのもコレがはじめてで、とにかくナゾのおおいヒトというか、ナゾでしかないヒトであったコトはたしかだった。

そんな”よしこさん”の城であったお店「山路」がついに建物解体決定とのコトで、生前に親しかった有志の方々が中心となり、『お見送り会』なるモノの企画をし、今回の開催に至ったのだ。



※コチラがお店「山路」。2020年5月中旬に解体されるとのコト。


しかし、ご存知のとおり世はコロナウイルス全盛の時代(時代じゃないけど)。

そういうコトもありヒトをあつめるようなイベントの開催は当然のごとく取りヤメ中止。

ただ解体の日程は決まってしまっているので延期はできず、それでお店の「山路」にて、カノジョが遺したさまざまなモノゴトを展示&展示物の形見分け、そして所有していた音源などの形見分けをする催しを、2020年4月26日から5月3日までの期間で開催したのだという。


そもそも”よしこさん”を知ったキッカケは、ワタクシが長年DJでお世話になっているシブヤのBar「NIGHTFLY(ナイトフライ)」のオーナーの”三木(省太郎)”さんに連れて行ってもらったコトが、地獄?いや音楽パラダイスのはじまりだった、というコトにしておこう(笑)。

13年ほど前、、、三木さんはシブヤに「NIGHTFLY」をオープンした当初、もともと阿佐ヶ谷で「barcyde(バーサイド)」というソウルバーを経営(現在はやっていない)しており、たまにそこのお店の周年パーティだったり、なんらかのタイミングでDJとして呼び出しをくらって、、、もとい!お呼ばれされたりと、10数年前はそんな感じでチョクチョク阿佐ヶ谷にも行っていたのだった。

イツのナンのタイミングだったかは失念してしまったが、たまたまナンらかのタイミングで阿佐ヶ谷の「barcyde」に行ったとき、三木さんに「オモシロいお店がある!」というコトで深夜(ほぼ明け方だが)に連れていってくれたのが、この「山路」なのでアル。

阿佐ヶ谷駅北口の飲み屋街の奥地にあり、見た目は割烹料理屋にも似た一軒家の佇まい。
だから最初は、「(DJのギャラとして)割烹系でも食わしてくれるのかな?」程度で思っていたくらいだ。


三木さんが引き戸の入口を開けると、ナント!布団がビッシリと敷き詰められた第2のトビラが(笑)。

「えっ!ナニコレ!?」という、オドロキと戸惑いがバラバラになってココロとカラダにまったく追いつかないうちに、三木さんが第2のトビラ(引き戸)を開けると、内部から大音量の昭和歌謡が。

なるほど防音対策だとすぐ理解した。

イソイソとなかに入ると薄暗い、、、というか店内はほぼ暗闇で、席はカウンターだけだが、カウンターの上にはビッシリと奥までCDケースが並べてあったのが見えた。

カウンター上(空中)にも洗濯バサミとハリガネで吊るされた(??)CDが多数。
「ん?オブジェなの??」とおもってカウンターの奥をみると、オバさん?っつーかオジさん??、そんな不思議なクリーチャー的な存在感を放つ御大、”よしこさん”がソコにいた。


お酒をオーダーしようとすると三木さんが「グレープフルーツサワー以外はマズいのでたのまない方がいいです!」とコソっと真顔で言われ、言われるままにグレープフルーツサワーを。

お願いすると、生のグレープフルーツをまっぷたつに割り、おもむろに、そしてムダにチカラまかせに人数分を病的にしぼりはじめる”よしこさん”。

数分ののち、汗だくになったカノジョがグレープフルーツサワーを出してくれた。
まずは一口飲んで、、、意外とフツーの生グレープフルーツサワーだったコトに、「ほかはどんな味なの??」という心配をはおいておき、なんとかココロを落ちつかせるコトに成功した。


まわりをゆっくりと見回すと、カウンターの上から、お酒の棚から奥の方までとにかくCDのケースだらけ。

スピーカーは「JBL」。
けっこう大きめのモデルがふたつ、奥の方に置いてあったのが見えたが、店の大きさに比べるとかなり大きめ、いや言ってしまえばムダにデカい。

そして店内を流れるハチミツ、もしくは松ヤニ、いやトリモチのごとくネットリとカラダとミミにカラみつく昭和な音楽は、”よしこさん”がいるカウンターの後ろの酒棚の上にあるポータブルのCDプレーヤーから出されている模様だった。

プレーヤーにはナゼか「金のまねき猫」が乗っており、それを取るとフタが開く、、、つまりフタは壊れていてモノ(おもし)を置いてないと開きっぱになるという、リアルジャパニーズサウンドシステムだったのでアル。


流れる音源も演歌やムード歌謡などの昭和歌謡もあれば、GSや昨今のロックとさまざま。

音源はどうもCDRがメインのよう。
しかも、おそらくレコードからわざわざCDへとダヴィング?いわゆるオトしているといった感じだった。


とにかく、お客さんと話をしながら、その場の流れを音楽でつくっていくよしこさん。
ちょっとでも音楽(選曲)が場の雰囲気(気分?)と合っていない、、、もしくは場の雰囲気が気に入らないとなると、曲の途中だろうがナンだろうがまねき猫が暴力的にとられ、フタが開いて音が止まる。

そして、目の前にある無造作に置かれたCDの山から曲を探して、CDをチェンジ。

ママだけどむしろDJなのね。

ちなみに、ワタクシがたまにDJなどで使用する”マキニカリス”の「小平の女」は、じつは”よしこさん”におしえてもらった曲だったりする。

機嫌のいい日は、意外とおしえてくれるのだ(いつもがそうとは限らない)。


とにかく、初日はその選曲と雰囲気と状況と、「環七で拾ったぎんなん」というメニューなど、いろいろ人知を超えた宇宙的なモノゴトに予想以上に自分が狼狽してしまったコトをおぼえている。
それがはじめて「負け」を感じた「山路」だった。

そういえば、三木さんに「阿佐ヶ谷に(自分の)お店があるコトは言わないでください」と言われたのも思い出した。
地元のヒトは出入り禁止だったとか。
地元以外にダレがあの店に行くのか、、、不思議でならなかったが(笑)。


その後、阿佐ヶ谷にいくたびに三木さんと「山路」にうかがっていたのだが、三木さんが阿佐ヶ谷のお店をヒトにゆずってしまったコトもあり、DJや飲みなどでは足が遠のいてしまい、なかなか阿佐ヶ谷に行く機会もなく。でも、三木さんとはよく「そろそろ山路に行かないとスね〜!」なんて話をしていた矢先の2016年の秋すぎ、よしこさんの訃報を三木さんから聞くコトとなってしまった。

最後に行ったのはいつだったか、、、5〜6年前に、三木さんとたしか”バロン(現 上の助空五郎)”くんとかもいたときで、けっこうな人数で「山路」に行って、もう日も明けすぎた朝6時すぎに帰ろうとみんなで駅に向かうと、”よしこさん”が商店街をでんぐり返ししながら追いかけて来た、そんな微笑ましい?恐怖の思い出なんてのもアル。

よしこさんが亡くなってから、仕事などでたまーに中央線沿線に行くときにはお店のアト地をぼんやり見に行ったりもしたコトもあった。


日々はすぎ去り、そんなコトもコロナショックのバタついた忙しさですっかり忘却の彼方にいきそうになった2020年も4月後半、三木さんから「こんなのがあります!」と『山路 お見送り』のチラシの写真を送ってくれたのだ。

ツイッターで情報を発信しているようだったので、調べてみると、よしこさんのさまざまな遺品の展示と形見分けにくわえ、音源の形見分けもあるという。

とにかく「行ってみたい!」というか、「行かないと自分のなかのぼんやりとした部分が晴れないかなー」というコトで、予定が空いていた2020年5月2日にうかがうコトにした。


そんなワケで、不要不急の阿佐ヶ谷へと足を運んだ次第である。

「山路」の前までいくとスタッフの方がおり、入場料というか、運営料の1000円をお支払いすると、チラシにハンコを押してくれた。

このハンコがまた!アジがある感じでたまらない。





この領収のハンコがあるチラシを持っていけば、期間中は何度でも出入り自由とのこと。


おそるおそる建物のなかへ。

当然、電気も水道が止まってしまっているので、まっ暗というコトもあり、スタッフの方が懐中電灯を貸してくれた。

営業中はかなり狭く感じていた店内だが、思ったよりかはひろかった。





すっかりCDケースが片づけられてしまったカウンターの上には、若き日のよしこさんの写真が無造作に展示。











おもわず、「意外とイケメンだったのね」とつぶやいてしまった、若き日の”よしこさん”。

これらの写真は「ご自由にもらってって〜」と書いてあったので、もらい受けるコトができたのだが、ちょっとコワかったのでコレは遠慮させていただくコトにした(笑)。


お店の奥、トイレ前の棚には。





テング??ダルマ??キツネ???あまりにアヤシすぎる物体のかずかず。

ただ、うかがっていた当時にコレがあったのか、、、残念ながら覚えていない。

コチラももらっていけるものも数点ほどあったのだが、やはりコワかったので遠慮した(笑)。


2階にも展示されているとのコトでカウンターのなかを通って、はじめての2階へ。

ただ階段へむかう途中、カウンターの奥に段ボールが置いてあり、たぶん遺品整理のものだとはおもうのだが、中をのぞくとさまざまな映画や音楽などのビデオテープにまざって、、、「ん!?」





知るヒトぞ知る!あの伝説の!??『洗濯屋ケンチャン』が!!!
「よしこさん、ナニしてんのよ(笑)!」とおもわず笑ってしまったのだが、それにしても実物(VHSビデオ)ははじめて見た。


そんなカウンター裏の秘蔵のブツを横目に、酒棚の壁をくるりと右回りをすると奥に階段。
階段の左右の壁にはよしこさんのコメント??つきのアナログレコードが展示されている。





「コチラは運営の方が展示されたのかな??」という感じだが、意外とというか、思ったとおりの手厳しいコメントと、意味不明なコメントの連発で、すべて読む体力もなくあっけなく2階へと移動。


2階には、”よしこさん”が描いた絵やマンガなどといっしょに所蔵のレコードが展示。






※絵を後ろに若い頃のよしこさんの写真。


なんだか不思議な絵。

さらに奥の部屋には、、、





“よしこさん”所蔵のレコードが壁一面に。。。

昭和歌謡のイメージが強いよしこさんだが、じつはジャズマニアというか、無類の音楽マニアだったコトはウワサで聞いていた。

さまざまなジャンルのレコードがもりだくさん飾ってあり、よく見ると”JAZZMATAZZ”とかまである。
コメントが「どこに行ってもかかっている流行のヒップホップ」。





このように”よしこさん”なりの辛辣、、いや!手厳しいコメントがいちまいいちまいにキチンと書かれているのがスゴい。

コチラで展示されていた遺品にはすべて番号がふってあり、抽選制で後日形見分けされたとのコト。





という感じで、なんだかこの建物自体がなくなってしまうのも残念ではあるが、よく見るとところところ崩れていたり、天井に穴が空いていてブルーシートで覆ってあったりと、けっこうな年代ものの建物だったんだなーと、ちょっとしんみり。


別会場で、”よしこさん”所蔵のCDやレコードなどの音源の形見分けをしているとのことで、お世話になった「山路」にお別れをし、別会場へ移動。


会場には、アナログレコードのほか、CDやカセットテープなど、恐ろしくたくさんあったのだが、レコードを中心に形見分けをいただくコトにして、帰路についた。





持っていったレコードバッグが12インチと7インチでパンパン。

いただいた音源は、DJや選曲などで大切につかわせていただこうとおもう。


よしこさんが亡くなってから約3年半だが、なんとなくの「山路」へのもやもやが消えたような気がしたこの日。

阿佐ヶ谷の空はオレンジ色に染まり、駅は仕事帰りのヒトであふれていた。

いつもどおりではないかもしれないけれど、いつもどおりの日常。



よしこさん、たのしいDJをありがとうございました。

さようなら!




※来場者に配られた”よしこさん”の写真と、「山路」移転オープンのフライヤー
※『山路 お見送り』の運営&企画にたずさわった方々に感謝します。






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