TYO magazineトーキョーマガジン

Archive

 

rss 2.0

Editor's Eye : September 11, 2020 @ 21:47

(ネタバレアリ)『The Last of Us』シリーズからみる「争い」の考察



「争い」。
それこそ人間が人間たる存在になる以前からつづいてきて、
おそらく、まちがいなく、残念ながらこれからもつづいていくものだろう。

それは恐竜しかり、現存の動物しかり、バクテリアしかり、
生きとし生きるものたち、
あらゆる生き物の生きるための本能、闘争本能なのである。

生存競争はつづくよどこまでも、、、ってね。


そんなわけで今回は、まあ9月11日なので、
9.11のアメリカの同時多発テロから19年というコトもあり、
人と人、人間の争いに関して、ナナメ左上から考察してみた。


我が国ニッポンも太平洋戦争の終戦から75年という時間が経ち、
戦争体験者、経験者の高齢化&減少していくなかで、
戦争について、人間同士の争いについて、
そして争うコトの”愚かさ”について、
ナニから学び、そしてどのように回避していくのがベストなのか、、、
むずかしい問題になりはじめている事実もたしかである。

ワレワレ戦争を知らない世代から、
これからの人生を生きる後輩たちにどのように伝えていけばいいのか。

もちろん本やマンガ、
ドラマや映画、インターネットなど、
さまざまな方法は存在しているので、
そのなかからドレを選択するのか?というコトになるのだろう。

そんなあらゆるメディアのなかから、
ワタクシが選んだのはゲームである。


みなさんは、『The Last of Us(ラスト・オブ・アス)』シリーズをご存知だろうか?

『The Last of Us』シリーズは、
2013年にプレステ3でリリースされたサバイヴァルアクションゲームで、
世界累計で約1700万本売れているという、
まさにモンスターゲームである。

そして、約7年ぶりの2020年6月にその続編、
『The Last of Us 2』がプレステ4バージョンでリリースとなった。
続編も現状、
2020年でもっとも発売月の売上が高いビデオゲームのひとつで、
話題のゲームだ。

いわゆるの暴力的コンテンツもふくまれるため、
日本ではCERO「Z」の区分で、
いわゆる18歳以上。

しかし、ゲームと言いつつも、
目の覚めるようなうつくしい精巧なCGアニメなので、
ほぼほぼドラマというか、
映画と言っても過言ではない。

『The Last of Us』シリーズのこまかい概要についてはウィキってチョ。


ワタクシ、べつにゲーマーではなく、
もちろんゲームにハマった時期もあるが、
現在はもっぱらゲームチューバーの配信したプレイ動画をぼ〜んやり見る派だ。


若干、ゲームのネタバレ的な内容になってしまうので、
もし「これから『The Last of Us』シリーズやるぜ!」って方は、
別に読まなくても大丈夫。

ただ、これは映画や本などの感想と一緒で、
発売してから時間もけっこう経っているので、
若干のネタバレ感は了承願いたいところ。

「『The Last of Us』シリーズはやらんよ!」って方や、
ワタクシがこのゲームからどのような感情や印象を受けたのか、
が気になるアナタにはぜひともダラ〜っとヒマつぶしに読んでいただければ、
コレ幸い。


さて、この『The Last of Us』シリーズ。

内容をチョー簡単に説明すると、、、

ある日、突然ナゾの寄生菌によるパンデミックが発生し、
そこから20年後、世界が荒廃しはじめの時代の話である。

感染者と呼ばれる、いわゆるゾンビに近いものが存在し、
噛まれると感染。
感染からの時間の経過によって、
相手の怪物度具合が変化、、、
つまりゲーム的に言うと敵の攻撃力がアップするという感じね。


1の主人公は、”ジョエル”と”エリー”。

20年前の感染発生時、
“ジョエル”は弟”トミー”と娘の”サラ”とともに街から逃げようとしたところ、
街の隔離のために非常線を守っていた兵士(州軍?)に銃撃され、
娘を失うという過去をもつ。
20年後の荒廃した世界では、
ブラックマーケットでの取引を生業としている。

20年後の世界は軍が隔離地域の街を仕切っており、
それに抵抗する「ファイアフライ」と呼ばれる抵抗組織が存在し、
お互いがイガミあっているという状態だ。

そんななか、
“ジョエル”の仕事において問題が起こり、
対処していくなかで、
「ファイアフライ」のリーダーである”マーリーン”に出会うのだが、
寄生菌に対しての抗体を持つ14歳の少女”エリー”を
「ファイアフライ」の基地への運搬を依頼される。

指定された場所にいくと、
すでに「ファイアフライ」は撤収のあとだった。

その後、季節は流れ、
ふたりは彼らの痕跡を追ってアメリカ大陸をほぼ横断し、
ソルトレイクの病院を拠点とする「ファイアフライ」の基地で、
“ジョエル”はふたたび”マーリーン”と出会う。

しかし、彼女から、
ワクチンは”エリー”の命とひきかえに作成され、
すでに手術がはじまっており、
選択の余地はないコトを聞かさる。

“ジョエル”は苦悩の末、
手術中だった「ファイアフライ」の医師を殺害し、
“エリー”を救い出すこと選択した。

麻酔から覚めた”エリー”に”ジョエル”は、
「オマエの抗体は、ワクチンにつかえないモノだった」とウソをつたえる。

というのが、
2013年にリリースされた1のおおまかなアラスジだ。


そして、『The Last of Us 2』では、
ココ(1)から5年後の世界を描いている。

弟”トミー”とその妻の”マリア”が統治するジャクソンでのんびり生活をしている、
“ジョエル”と”エリー”。

ある日、感染者掃討のための巡回中の”ジョエル”が
“アビー”と呼ばれる女性が率いる集団に監禁され、拷問の果て、
ちょうど彼を探しに来た”エリー”の目の前で殺害されてしまう。

復讐心にかられた”エリー”は
“アビー”らの遺失物から拠点であるシアトルを割り出し、
友人である”ディーナ”と共にシアトルへと旅立つ。

コレは完全なるネタバレになってしまうが、
“アビー”は、5年前に”ジョエル”が殺害したソルトレイクの「ファイアフライ」の医師の娘で、
彼女は父の復讐のために、
5年間”ジョエル”を追っていたというコトだったのだ。

また、ジャクソンで過ごすなかで”エリー”は5年前のソルトレイクでの真実を知り、
ここ1年ほどは”ジョエル”との確執が生まれているコトも触れられる。

というのが、
今回のシリーズの流れである。


まあ、ぼんやり上記のアラスジを読んでいただければおわかりのように、
このゲーム自体が「感染者 VS 人間」ではなく、
「人間 VS 人間」という争いの構図。

とくに「復讐」という、
とてつもなく厄介な問題がテーマなのである。

しかも、シアトルに到着した”エリー”が、
“アビー”の友人を探しだし、
つぎつぎと殺害していくコトで、
それがまた別の復讐心を煽るという、
とりとめもない復讐の連鎖状態。


ちなみにこのゲーム、
プレーヤーが”エリー”編と”アビー”編の両方をプレイするスタイルで、
つまり、復讐を果たすという満足感と同時に、
友人を失うコトへの苦悩と落胆、失望、そして怒り、
両者のさまざまな感情を、
プレイしているヒトに半ば強制的に味わわせるという、
なんともスゴいゲームなのだ。

ゲーム自体の評価を調べていただけると分かると思うが、
ただただ敵と呼ばれる「的」を殺すだけの勧善懲悪型ゲームに慣れた、
いや大半のゲーマがこの手のヒトだとはおもうのだが、
そういうヒトからしてみるとかなりアト味が悪すぎ。

映画で言うところの、
いわゆるのバッドエンディングに近いモノだろう。

それもあってなのか、
かなりボロクソに言っているゲイマーや、
最低ランクの評価も多く、
とにかく賛否両論の差がはげしい。


このゲームに関して、
かなりの独断と偏見でいえば、
敵なる「的」を殺しても、
その敵なる「的」にもじつは友人や家族がいて、
さまざまな生活を送っているよ!という、
奥行きの部分を感じられるかなりスゴいコトをやってのけたゲームだとおもっている。

つまり、レコードでいうと、
正義はA面にだけではなく、
B面にだって正義はあるんだというコトだ。


さらにおどろくのはゲーム内で敵同士の会話というのがあるのだが、
登場する敵と呼ばれる人物たちのほとんどに名前がつけらているという点。
犬や馬などにも名前がつけられているのだ。

コレは心理学上では、
登場するモノに名前をつけているという点で、
ただのモノ(殺すためのモノ)ではなく、
人であったり、生き物であるという認識を高める効果があるワケで、
ソコには「ゲームだからって簡単に相手を殺すんじゃねーよ!」という、
作者側の思いがあるのだとおもう。
もちろん勝手な考えだが。

そんなちょっとした心理的操作も感じられる本作。
もうすでにただのゲームではないコトはおわかりになったかと。





ちなみに、この『The Last of Us 2』を観たときに、
じつは9.11のテロを思い出したのは言うまでもない。

テロの主犯格の”ウサーマ・ビン・ラディン”は、
アフガニスタンへのソ連軍侵攻の際には、
もともとアメリカ側の人間だったことは周知の事実。

しかし、その後のアフガンにおいて、
アメリカに翻弄され、
さまざまなモノを失った彼らは復讐心にかられて、
9.11の同時多発テロをおこなったとされる。

そして、最終的にアメリカの復讐心が彼らを殺害するに至るという、
なんともとりとめのない一連の結果を生んでしまった。

でも、それがまた別の復讐心を生んでしまっているのかもしれないし、
まさに復讐の連鎖ってコトだ。


それにしてもアメリカはある程度のキリスト教国であるにも関わらず、
神の名をつかって歴史上なかなかまちがった行動ばかりおこす。

ちなみに、こういう時のキリスト教の聖書には、
良い感じで答えを出してはいるにも関わらずだ。
「相手を赦すコトで自身は救われる」のだと。

ワタクシ、別にキリスト教徒でもないし、
むしろ無神論者的なアレなのだが、
それはまちがってはいないとおもう。

それは75年前の日本の戦争においてもそうあるべきだと考えているからだ。
もちろん時間がかかる問題であるのもわかってはいるのだが。


話をゲーム『The Last of Us 2』にもどすが、
それにしても、この手の近未来感染モノ(ゾンビ系)のストーリーって、
結局のところ「いちばん怖いのは感染よりも人間」という話が大多数だったりする。

まあ、今回のコロナッチの世界的パンデミックの状況を見ていても、
そんなコトをリアルに感じるような出来事が多々起きているのも事実であるから、
あながち間違いではないのだろうな。


“エリー”と”アビー”の復讐のストーリー。

どのように復讐が終わるのかは、
実際にゲームをプレイしてもいいとおもうし、
ゲームチューバーのプレイ映像を見てもいいとおもうが、
結局南極、そういうコトなんだよね、、、
というラストに納得せざるを得ない。

つまり、虚しさだけがのこってしまう。


そんなワケで、
『The Last of Us』シリーズは、
とどのつまり「争い」からはナニも生まれない、
そう思わせてくれる、
いや、考えさせてくれる、
なんともすばらしいゲームなのである。


今回の考察。

もちろん、超個人的独断&偏見による感想と考えなので、
それに対してアグリーするか、しないかは、
アナタ自身で考えてほしい。

「考える」、、、
それがいちばん重要な行動だとおもうから。




画像:IMAGE BY NAUGHTY DOG


Comments are closed.

Trackback URL