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Interview : August 10, 2010 @ 15:06

“DUB AINU BAND” OKI インタビュー 『SAKHALIN ROCK』前編


トンコリ奏者のOKIが、4年ぶりとなるフルアルバム『SAKHALIN ROCK(サハリン ロック)』をリリース。


このアルバムでは、”サハリン(樺太)”への旅の”思い”を中心に、マルコス・スザーノとのブラジル録音、そしていままでまわってきたあらゆる土地のライブや旅など、OKIの”いま”の終着点を表している。


今回は、今作についてのお話に加え、トンコリの故郷である”サハリン”を訪れたときのお話などもお訊きした。





─今作『サハリンロック』、スゴい世界感というか衝撃的でした。以前のダブサウンドっぽさはなく、自然なダブ、、、そんな印象を受けました。

あまりダブはやってないよね(笑)。
音楽をやるときはその時のヴァイブスでつくるので、自分でバンド名つけておいて、関係なくやっていますよ。

─樺太へ旅行されたとのことですが、北海道生まれの人には、北方領土といえば、右系の活動が激しかったり、そういうCMが流れていたりで、かなり特殊な場所というイメージが強いですよね。実際は、どんな世界なのでしょう?

どういうところって、、、”サハリンロック”みたいなトコロですよ。
文化的にはヨーロッパですね。
ヨーロッパのシステムで全部運営されているし、動いているし、デザインもそうだし。
隣が西洋の国という感覚ってボクらにはないじゃないですか?
でも、そこは西洋がニョイーンって腕を伸ばしている感じなんですよ。

─イメージが全然わかないんですよね、樺太って。

風景的には北海道なのにヨーロッパなワケよ。
面白いですよ、だから。
網走とか、オホーツク沿岸の感じには似ていると思います。

─距離的にはスゴく近いところなんですけれど、旧ソ連が領土侵犯したとか、そういうイメージが強いんですよね、そういう教育も受けてきているので。だから、最初は「樺太に行くなんて、スゴい!」と思ったんです。

ミュージシャンであまり樺太に行くヤツはいないよね(笑)。
ニューヨークとかジャマイカとかは行くヤツいるけれど。

─そうですよね(笑)!
樺太がトンコリの故郷とのことですが、現在もトンコリを弾いている方というのはいらっしゃるのでしょうか?

いないですね。
というか、”サハリンアイヌ”がいない。
“サハリンアイヌ”とか、”ニブフ”、”ウイルタ”とか、いくつか民族が樺太に住んでいて、
北緯50度線から下がだいたいアイヌで、そこから北にはほかの原住民が住んでいたんです。
でも、そこから”サハリンアイヌ”だけが消えるんだよね、突然。
コロボックルが突然消えたのと同じように。

─それにはどんな理由があったのでしょうか。

結局、近代国家が国境という縄張りをつくるために犠牲になったり、まあ戦争もあったけれど、アイヌも日本人と定義されたんですよ。論法として、日本国民が住んでいるところは日本領だってことになる。だから、サハリンアイヌ(樺太アイヌ)が日本国民だと定義づけた場合には、北緯50度線から南は日本領だという主張なんですよ。
それに、徹底的に祖国は日本であるという教育、そういうプロパカンダをアイヌも受けていたワケで、
そういう状況があって、第二次世界大戦終盤にソ連が突然樺太全島を攻めたときに、アイヌも日本人ということで日本に引き上げさせられたんです。
最終的には、大戦が終わってソ連の実効支配となった時点で、民族としてのカルチャーは終わったんですよ。

─なるほど。

でも、生まれたときのそういう”風土”って大事なんだよね。移ってしまうと、文化がなかなか育たない。
だから、レゲエはジャマイカじゃないと育たないし、サハリンアイヌの文化もやっぱりサハリンに根付いていないと発達はできなかった。

─樺太のトンコリという文化自体が消滅してしまっている状態なんですね。

とっくの昔に忘れ去られている存在だよ。
それは、北海道の人がそこがアイヌの島だって思って住んでいるわけじゃないのとおなじ。
その面影が地名に1、2ヶ所のこっている程度かな。

─そこには訪れたのですか?

行ったよ。

─『サハリン ロック』というアルバム名ですが、やはり何かを打ち壊すとか、そういう意味で”ロック”を使ったのでしょうか。

ロックは、、、そうだよね。
オレがやっているのはさ、ベースをピックで弾くような音楽じゃねえんだよな。
ああいうのはなんつーの、、、ホワイトロックっつーのか。
ああいうのは無視しているから、というか嫌いだから(笑)。
オレがやっているのはそういうロックじゃなくて、ロックはロッカーズのロック。

─ロッカーズですか!?

そう!そこはやっぱちがうよな。

─どこからインスピレーションを受けたのでしょうか?

なんなんだろうね(笑)。
けっこうギリギリの状態でつくっているんです、精神的にも、肉体的にも。
いつもそうなんですけれど、降って沸いて来るワケだから、どうやってつくったとかそういうものでもなく、インスピレーションなんですよ、オレの場合は。
リズムトラックをつくって、そのトラックに歌を入れる段階で、詞は出来ていないんだけれど。とりあえず、そのリズムにあわせて唄を唄っちゃうんですよ。それでヴァイブスが合うと、だいたい曲が出来ちゃう。今回はソレだったんですよね。

─なるほど、そういうつくり方なんですね。

リズムトラックをヘッドホンで聞いてさ、マイクの前に立つじゃん。
で、次の4小節が終わるちょっと前に「唄うぞ!」って思った瞬間に「サハリン ロック」ってコトバが出たんだよ。
それで、そのまま浮かんだコトバをのっけたんだ。

─そのコトバが降りてきたワケですね。

そう。

─やはりサハリンに行ったことに影響していますか?

今回は、古の地を訪れたワケで、すごく感動的だったんですよ。
ちょっと自分に対して恥じていた部分があって、14年くらいトンコリ弾いていて、まだトンコリに行っていないって。それってレゲエをやっているけれど、ジャマイカに行っていないということに似ていると思うんです。まあ、行かなくてもいいけれどさ、別に。
でも、せめてその楽器を生業としている以上は行かなければいけなかったのに、行っていなかったからさ。
トンコリの名人が生まれた村は、なんてことない、ぽつんぽつんと家がある、北海道のどこかみたいな景色なんだけれど、でも、なにかつながった感じはしたのね。
それは知識とかそういうのじゃない、もっと感情の部分でつながったような気がするんです。

─そこではどんな物語があったんでしょうか。

江戸時代の探検家で松浦武四郎という人がいるんだけれど、今回訪ねたオタサム(小田寒)という村に彼が1840年に訪ねたときに、樺太アイヌ(サハリンアイヌ)のトンコリの名人の”オノワンク”という老人に出会ったんです。それは、今回の「サハリン ロック」の歌詞にも出てくるんだけれど。
当時、日本人がやってきて、漁場を開いて、アイヌをこき使うから、みんなにトンコリを弾く余裕がなくなったことを「すごく残念でならない。せめてトンコリを弾けるオレが、コレを後世に残したい」という”オノワンク”の嘆きのコトバの記録が残っているのよ。
彼はトンコリを片時も離さなかったってね。

─悲しい時代だったんですね。

黒船が来たのが1850年代前半だから、、、まあ、そういう時代だったんだよ。
日本の社会構造を変えないといけないと思いはじめた時代だったし、いままでの暮らしぶりじゃなりたたなくなってきていたワケ、タイム的にはさ。


─鎖国して、時代にとりのこされている感が出はじめている時期ですよね。

別にあのまま鎖国でもよかったと思うよ。
でも、外圧が来たことによって、国交意識が生まれたワケ。
鎖国って、いま思えばオレは正解だったと思うよ。
だからこそいまの日本人のアイデンティティが残っているワケだしさ。
いまだって鎖国してもいいと思うもん。広がりすぎだから。
まあ、それだけじゃいかなくなってきた時代だったんだよ。
で、日本人がアイヌの地に漁場を開いて、アイヌを強制的に働かせたワケよ。
サハリンアイヌは民族的に3000人いないんだから。東京ドームはいっぱいにならない。

─ならないですねー。

なんないっすよ!CCレモンホールくらいしかならないですよ(笑)。
それを漁場に2000人くらい集めて働かせたんだから。
しかも当時は労働基準法も、最低賃金法もなく、人権もなく、国連もない。
監視する団体もないから、やりたい放題だよね。もう、ひどいありさまだったと思うんだけれど、そこでオノワンクが嘆くのよ。みんなが連れていかれちゃったから、昔ながらのことが出来なくなってしまったと。それが、だいたい150年くらい前の話ね。
でも、その時代からトンコリはあったワケだよ。
彼の孫で西平うめさんというトンコリの名人がいたんだけれど、明治くらいから昭和にかけて、トンコリを弾く人が女になっていくんだよね。

─アイヌの生活状況に激的変化があったんですね。

家に残る可能性があるのは女じゃない?
男は、全部強制労働で、奴隷だから。
家を守っている女が男のかわりにトンコリを弾くようになったのかもしれないよね、分からないけれど。
それでオレが始めたことによって、また男もトンコリを弾く時代にまたきたワケ。
ただ残念なことに、オレは樺太アイヌじゃないので、西平うめさんとは接触がないんですよ。オレがトンコリを始めたときには、もう亡くなっていたんだよね。だから、そこで一回切れちゃっているんだよ。

─西平うめさんを継いでいる方はいらっしゃるんですか?

継いでいるという感じではないのかもだけど、直接会って、演奏を見聞きした日本人の方がいらっしゃって、それはお琴の先生で、富田(友子)さんという方なんだけれどね。

─それは残念ですよね。



 

 

DUB AINU BAND” OKI インタビュー 『SAKHALIN ROCK』 中編へつづく)





OKI DUB AINU BAND
『SAKHALIN ROCK』





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OKI



アサンカラ(旭川)アイヌの血を引く、カラフト・アイヌの伝統弦楽器「トンコリ」の奏者。
自らの製作するトンコリに改良を重ね、その後エレキ化にも成功し、そのトンコリを武器として世界を舞台に知られざるアイヌ音楽の魅力を知らしめてきたミュージシャン/プロデューサー。ソロ活動に加え、自身が率いるDUB AINU BANDでは世界最大規模のワールドミュージック・フェスとして知られるWOMADへの参戦や、日本国内でも数多くのフェスに出演(FUJI ROCK、朝霧JAM、RISING SUN ROCK FES、渚音楽祭、SUNSET等)。
2010年7月には4年ぶりの待望のニューアルバム『サハリン・ロック』をリリース。

http://www.tonkori.com/


 

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