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Tokyo News : June 3, 2011 @ 06:34

宮城 聡×野田秀樹 記者会見──『ふじのくに⇔せかい演劇祭2011』



今年で設立15年目を迎えたSPAC(静岡県舞台芸術センター)が、「もっと愛される劇団へ、世界とつながる劇場へ―」をモットーに、『ふじのくに⇔せかい演劇祭2011』を2011年6月4日より開催する。


2010年までは『Shizuoka春の芸術祭』ど題して開催されていたのだが、今年から名前を一新。

『天守物語』や奇才”タニノクロウ”による『エクスターズ』”SPAC-ENFANTS(スパカンファン)の『タカセの夢』などなど、約1ヶ月間に世界9ケ国からの11演目が上演される。


そのこけら落とし公演として、SPACの芸術監督をつとめる演出家の”宮城 聡”が選んだのは、シェークスピア原作、野田秀樹の潤色版『真夏の夜の夢』。

宮城は、なぜ原作バージョンではなく、野田秀樹バージョンを選んだのか?


今回は、『ふじのくに⇔せかい演劇祭2011』記者会見会場にて、野田秀樹とともにのぞんだ会見の模様をおおくりする






─まずは、『真夏の夜の夢』へのいきごみを教えてください。
あと、宮城さんは野田さんの作品を演出するのははじめてとお聞きしましたが?


宮城:はい。。。野田さんが横にいると緊張しちゃうんです(笑)。
ボクは、中学一年のときの秋の文化祭で、、、当時は中高一貫の学校でして、高校の方の演劇部の芝居を観に行ったんですよ。
そのときに別役実さんの『門』という作品を上演していて、野田さんもくつみがきの役で出演されていたんです。それが、ホントに鮮烈というか、、、それでボクの人生が決まってしまったようなもんですよね。
それからは、『遊眠社』の芝居もすべて観ましたし。。。
まさか自分が(野田作品を)演出するとはという感じですね。
触ってはいけないもののように思っていたんですけれど、、、あのーーー、そうなんです!はじめてです(笑)!






─今回の作品は、野田さんが92年に日生劇場で上演された『真夏の夜の夢』を、宮城さんがあらたに演出するということですが、なぜこの作品を上演しようと思ったのですか?


宮城:野田さんの戯曲をやるなんで、「100年はやい!」って思っていましたよ。
このところ”SPAC”に来てから、”舞台上で話されるコトバは日常のコトバとはちがう”──ひと言で言えば詩であるべきじゃないかなと考えていたんです。本当はそうだったはずなのに、最近はそうではない芝居が「おおくないか?」みたいな、問題意識というか、そういうものが出てきて、詩の復権みたいなことを演出家としてテーマにするようになりました。
それで、フランスの”オリヴィエ・ピイ”さんの戯曲を演出したり、日本の劇作家だと唐十郎さんかなと思って、2年前に「ふたりの女」を演出させてもらったり。。。
それで、唐さんの次の世代で、舞台上の言葉を日常の言葉とは違う次元のものと考えて戯曲を書かれている方は、野田秀樹さんだと。ただ、その段階では自分が手を出せるモノではないという気がしていたんですね。ですが、たまたま「真夏の世の夢」が遊眠社の上演でなかったこともあり。。。
じつは本番を拝見していないんですよ。そこが自分にとっては気が楽だったんです。
それと、もうひとつ。
静岡では演劇専用に作られた劇場はSPACしかないんです。東京であればある劇場は寿司とか、ある劇場は天ぷらとか、劇場ごとにジャンルを絞れるんですけれど、静岡だとSPACだけで、そこでカレーだけを出すとか、寿司だけとかだとできないわけです。
静岡の観客に「演劇とはこういうものだ」ということを学んでもらうというのが、僕らの仕事だと思っているので、シェイクスピアのものは一年に一本はかならず入れたいと。
そんなことと、このところのボク自身の”舞台上のコトバは詩じゃないといけない”という詩の復権の思いから、日本の劇作家であれば野田さんだよな、というのと。
このふたつがたまたま『真夏の夜の夢』という作品で交差点になりまして、、、それで選ばせていただきました。


─野田さんは、宮城さんのお話を聞かれてどのように感じましたか?
また「真夏の夜の夢」の野田さんの中での位置づけを教えてください。


野田:えっとー、ワタシ、あのー、高校の先輩なんですけれど、芸術監督としては後輩にあたります(笑)。池袋の芸術劇場の芸術監督になったときに宮城さんのHPを見て、芸術監督の仕事を勉強しました。
だいたい静岡に毎日いるんでしょ?いや、「ちゃんとやっているんだなー」と思って。。。自分は芝居以外は池袋に行っていないですから(笑)。
そのワタクシからすると、ちゃんと芸術監督としてやっている人なんだなと思ってですね、それでお話をいただいたときに「ぜひやってください!」という感じでした。
『真夏の夜の夢』は、、、もう19年前なので、ほぼ忘れているんですよね(笑)。
ただ祝祭劇で、いまとは全然ちがう作劇をしているので、あの当時でもハッピーエンドで終わるようなものはコレと『から騒ぎ』で、すべてシェイクスピアを潤色した作品ばかりでして。。。
『から騒ぎ』もそうでしたが、シェイクスピアの中にある階級とかクラスとかって、日本の文化、というか現代の日本人が瞬間的に理解できないんですよ。それで『から騒ぎ』の場合は、それを相撲のランクに変えたんです。
すると、ひとことで”横綱”と”前頭”ということが分かる。
『真夏の夜の夢』は、あの職人さんね、、あのー。。。





宮城:板前ですか?

野田:そう!板前(笑)!
板前さんの話にして、日本のなかにあるクラスというか、階級みたいな、そういうものがパッとわかるものに変えたという感じでしたね。
いまの自分が祝祭劇をなかなか──まあ年齢的になのかも知れないですけれど、再演する気持ちを持てないでいて、、、もう少ししたら持てるのかもしれませんが。
なので、それをやってくれるというのは非常に有り難いですよね。


─今回の演出プランについて教えてください。
この作品はどのようにしたいとお考えですか?


宮城:”詩の復権”という話でいうと、ちょうど一年前にやった『ペール・ギュント』のときから、ちょっとした新しいジャンルをつくろうとしていて、、、まあジャンルというほど大袈裟なものではないのですが。。。
俳優がときどき生演奏をやるというのではなく、あるいは演奏家がときどき芝居じみたことをやるというのでもなく、プレイヤーとして演技も演奏もほぼ半々、同じくらいの比率でやる。舞台上の人が演技しているときと演奏しているときとが、同じ比重というのをやれたらいいなと思っているんです。
今回のを”祝祭音楽劇”なんて、変な日本語で言っていますけれどね。
それだと、つまり世界全体を描くことが可能になるような気がするんですよ。
例えば、”コトバを獲得する前の半分”と、”コトバを獲得した後の半分”というのが、人間を形成しているワケでして、”コトバを獲得した後の半分”は、コトバは本当の意味では二度とくり返せないものであって、おなじことを言ったとしても1回目に言ったこととは違ってしまう。それがコトバですよね。
それに対して、”獲得する前”の方は──動物とかがそうですが、呼吸とか、あるいは心臓の鼓動とか、そういうくり返すことを本質にもっているんです。気持ちいいコトは、つねにくり返すんですよね。ですから、ダンスとか音楽というものは、くり返すという本質を持っているワケです。
すると、繰り返しがない単線ですすむコトバと、くり返す本質を持っている音楽。その両方を半々づつやることによって、人間全部を描けるんじゃないかなと。。。つまり、この世界、人間がつくっている世界は、その半分半分が同居してできていると考えました。
そんなワケで、『真夏の夜の夢』はシェイクスピアの中では珍しいと思うんですけれど、”貴族階級”と”職人階級”と、それから”妖精”の三つ、世界の三要素みたいな三つのパートを、すべていっしょくたんにお盆の上に乗せたという作品なんですよ。シェイクスピアとしても、ここまで壮大に世界全体を描いている作品はあまりないと思うのですが、そういうワケもあってコトバと音楽が半々になる演出のやり方がピッタリなんじゃないかなという感じです。





─野田さんは、いまのお話を聞かれてどのように感じましたか?


野田:・・・。
ちょっと、不意打ちでしたねー(笑)。
演出は、ボクは作ったときに、、、潤色と言いながら、演出がけっこう入っている本なんですけれど、その辺は踏襲するんですか?

宮城:あの、、、完全に野田さんの世界ですよね、この戯曲そのものが。

野田:”逆回し”みたいなシーンがあるんですけれど、あれは本に書いてありました?





宮城
:ありました。

野田:そういうのは、全然無視して構わないので(笑)。。。
だって、もともともシェイクスピアに対して失礼なことをやっているワケですから。
なんの権限もないので。





─先の大震災以降、演劇や芸術についてはさまざまな意見が交わされています。
おふたりは共に公共劇場の芸術監督という地位に立たれていますが、そのことについて意見をいただけますか?


宮城:劇場とは、市民の精神の”文鎮”みたいなものかなと思っていているんです。
極端から極端に、人々の心というか、判断が動いてしまいがちなこういうときこそ、”文鎮”のようにボンと”重し”としてあることが大事なんじゃないかな。
地震のとき、ボクはちょうどゲネプロ中で、翌日、翌々日と本番があるのときだったんです。だけど、そんな考えもあったので、公演も予定通り上演させていただきました。
野田さんはちょうど、本番中だったんですか?





野田:いや、夜が本番で、じつはその時は多摩美の入試中で、ちょうど実技試験をやっていた時だったんです。
受験者に台詞を読ませていて、「声が小さいから、もっと大きい声で!」と言った瞬間でしたね。「大きい声で」って言ったのに生徒が黙ってしまったので、「なんだろう?」って思っていたら地震が起こって。。。
それからすぐに劇場に向かって、19時開演で18時30分くらいには着きました。だけど、その間、ホントに「開演しなくちゃいけないんだ!」としか頭になかったですから、上演をしないということが最初から自分の中にないんですよね。
その後、都の施設なので、東京都の方から数日やらないという通知があって、でも、その間もあまり複雑なことは考えていなくて、「自分たちは芝居をやる人間だから芝居をやる。それはどんな事態でも変わらない」という考えのままでした。
もちろん被災地の人たちの話とは、ぜんぜん別の問題ですよ。
それで劇場でコメントを出したら、変な風にコトバがひとり歩きしてしまったもので、大袈裟なことを言っているように思われちゃったんですけれどね(笑)。ボクは芝居をやっている人間なので、芝居をやる。それだけのことでした。まあ、停電の問題が出てきたのでね、単純に劇場のエゴではできない状況でしたけれど。
ぼくは幸いにして、、、幸いと言っていいのか分からないけれど、今年の夏に本番がなかったんですけれど、恐らくこれから停電の問題が出てきて、日本のお芝居は、、、本番がある劇場の人たちは、世間的に風当たりが強くなるんじゃないですかね。
そこのところで、ボクの理論としては「じゃあ、演劇人は演劇をやらずに家に帰ってテレビを見てればいいのか?」という話しになるんです。その部分はキチんと守って行くべきことかなと思っていますよ。
自粛のし過ぎというか、自粛をするべき場所にいない人間が、そういうことをやってしまうことの方がすごく大きな問題な気がします。
だって、花見でいうと、出来ないヒトは出来ないワケだから。

宮城:空気で行動をしてしまうって良くないと思うんですよね。
「何かできるコトがないのか?」って、瞬間的に思うのはいいんですけれど、それが「何かしないとマズいんじゃないのか?」になると、主体的な考えじゃない。
演劇人とか、芸術家の多くはそうかもしれないですけれど、「何か世の中の直接に役に立とう」と思うと、アーティストとしての心の底からの表現とはまったく違う、妙に実効性のあることに手を出してしまうんです。戦前の日本の演劇人が、ファシズムにおおいに加担してしまったことがひとつの例だと思うんですよ。
当時も演劇人として「何か世の中の役に立とう」みたいなことを思って、あんなことをやってしまったのではないかなという気はしますね。
でも、それはモノをつくっている人の原点に立ち返れば、まわりに合わせようとか、空気を読んでモノをつくろうなんて思うはずがない。しかし、いつの間にか「いま、こうやれば役にたてるのではないか」みたいに、表面的な判断になったときに、”過ち”といっていいような行動になってしまうのだと思います。
そういう時に劇場は、「普段の当たり前だった日常というのが、じつは奇跡的な瞬間の集まりだったんだ」ということを、もう一度思い起こしてもらう場所になればいいんだと思いますよ。
そう思えれば、そこから実際被災して劇場に行くことができない人たちへの、あるいはいま日常を取り返すことが大変になっている人たちへと、シンパシーというか、そういうものが生まれてくるのかなとは思っています。





─この時期に、祝祭劇をやることに対しての意見はありますか。


宮城:ボクは、判断が狭まっていく状況にあるときこそ、感覚を開かなくちゃいけないと思っているんです。
震災があって、みんなが「そんなことをやったら、周囲からどう思われるか」みたいなことをいよいよ気にしはじめるワケです。
しかし、ソレ以前の日本も、”空気を読む”ことに汲々とする社会になっていて、まるで幅が平均台くらい狭い人生観になってしまっていましたよね。ちょっと逸脱しているだけで、人間という範疇から落ちてしまうんじゃないかと思ってしまうくらい、みんなが狭い”普通”という平均台の上を歩いてきたと思うんです。まるで世界に対する想像力を失って自分からビンの中に入って、コルクのフタをしてしまっているような感じですね。ひとことでいえば、日本全体が衰弱していくことにつながっていくのではと危惧していました。
いまこういう状況になると、人は自分の頭でなかなか考えなって、心で感じなくなるんです。もちろん、本当に自分にとって「貴重なものはコレだ」と感じられれば、そこから日常を失った人へとシンパシーが生まれて、何かしらの行動が生まれるかもしれない。ですが、なかなか自分自身がこの日常が貴重な奇跡の瞬間なんだというところに感じるまで行かないですよね。
「いま生きていることがすばらしい」とか、「普段通りの暮らしがあることがすばらしい」と感じるためには、逆に世界を感じようというか、なるべく世界に対して目を開こうとすることの方が有効なんじゃないでしょうか。
感覚を開くということは、演劇の表現としては、それは”祝祭”に近いものになると思うんです。つまり、自分の取り巻くものすべてを舞台に表してしまおうと、世界全体のすべてを舞台上に表現してしまおうというような、途方もない”営み”をすれば、それは結果的に”祝祭”になると思います。
野田さんの『ストーンヘンジ三部作』もそうですが、世界そのものを舞台上に表してしまおうという、途方もない営みをすれば、それは一種祝祭ですよね。
ハッピーエンドの劇だけを”祝祭劇”と呼ぶのではなく、その馬鹿げたと言っていいくらい途方もない”営み”を、そもそもソレ自体が祝祭なんだと、そういう風に考えています。
なので、ボク自身は、今回は人々に世界を感じてもらえるような『真夏の夜の夢』を上演しようと思っていますね。





野田
:エーと、、、何を言うか忘れちゃった(笑)。。
祝祭劇とか、宮城さんの話しを聞いて思ったけれど、演出家というのは現在を生きているんです。
「真夏の夜の夢」は、ボクが書いていたワケではなく、シェイクスピアが書いてボクが潤色したもので、これが文字として残っているけれど、演出家によっていかようにも変えられる、、、脚色されるんです。
例をあげれば、ボクがやった「南へ」という作品は、3月11日に震災を受けて、15日から再び上演したんですけれど、その15日から2週間は、芝居が持っているコトバの意味が毎日違いましたね。
それまでの11日までにやっていた芝居とは、観客がひとつづつの単語を違った意味で、、、”勝手に”という言い方になるのかもしれないけれど、”震災”という体験をしたことによって、コトバというものはこんなに変わってしまうワケです。つまり、我々がつくった妄想の世界は、現実によってこんなに違って見えてしまう。それこそ、まさに演出なワケですが。。。
自分の舞台上からの感覚としては、3月18日くらいまでは震災で来られないお客さんも含めて、戦時下のときみたいな感じでしたね。緊張感だったり、集中力だったり、そしてひとつづつのコトバをポジティブ、前向きに捉えようとしてくれているお客さんがいて。。。それが3月20日を過ぎたあたりから、元のお客さんの雰囲気に少しづつ戻ってきた。
でも、それがほんとにいいコトなのか。。。もちろん戻っていくことはいいコトなんだけれど、自分の中で「このお客さんたちは、一週間前までのことを、そろそろ忘れはじめているのかもしれない」という、平穏に戻ることを望みながらも、違う気持ちができはじめていたんですよね。それは恐らく表現者としての見方なんだと思います。
今回の件、自分はそもそも「がんばろう ニッポン!」では済まないと思っていて、その、、、頑張ってなんとかできるのであれば、頑張ればいいけれど、でも、失ったものに対して、頑張れるものでなかったりする場合もあるので。。。そういう部分を表現者はどういうふうに感じ、見て、表現するのかというのが、これからの表現者のあり方なんだと思います。
例えば、この『真夏の夜の夢』、この祝祭劇はどう表現されるのか? 残念ながら、ボクはこの現場には入らないので、関われないですけれど。恐らく宮城さんがいまの時期にコレをやることというのは、彼が表現者としての資質を問われることになるワケですよ。でも、花見をしちゃいけないと言われるのと同じで、祝祭劇だからダメだとか、やってはいけないものなんてないんです。
おそらく、いまの時期にやると例えば暗いシーンでのローソク一本の意味が変わったりするだろうし、そうやって違って見えたり、コトバも悪い意味で聞こえたりしやすい作品なのかもしれないですけれどね。
現実的に、いま作られている演劇たちは自然と影響を受けてしまうと思います。まあ、そういう時期なんじゃないでしょうかね。






(おわり)






2011年6月4日-2011年7月3日
『ふじのくに⇔せかい演劇祭2011』
TheatreFestivalShizuoka under Mt.Fuji






2011年6月4日&2011年6月4日
『真夏の夜の夢』



http://www.spac.or.jp/11_fujinokuni/index.html


□お問い合わせ
SPACチケットセンター
TEL. 054-202-3399


※写真は、野田秀樹氏(左)、宮城聡氏(中)、タニノクロウ氏(右)


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