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ブラインドからのぞき見た世の中 : July 26, 2013 @ 15:10

ブラインドからのぞき見た世の中 VOL.93 『”ねじれ解消”の”ネジレ”』



注目の参議院選挙。

気がつくと、あっさり終わってましたが、結果はやはり与党、というか自民党の圧勝でしたね。


それは予想していたっちゃ予想していた結果なので別にいいのですが、それにしても圧勝すぎですわ。

ほかの政党の選挙公約がそんな悪いワケでもないんですけれど、、、
なかには「ん!?」と思う公約もありましたけれどね。
やはり、”一部の”国民の一番の関心は経済だったということなのでしょうか。


“一部の”というのをつけたのは、投票率の低さからです。
52.61%って、戦後3番目の低さですよ。
せめて、60%はいってほしかったなー。

今回は、いろいろと関心を惹くような候補もいっぱい出馬していたんですけれど、
それでもダメだったんでしょうね、ナニかが。

やっぱり決定打がないですよねー、どこの政党もですけれど。


あと、一票の格差というか、比例代表制って意味があるのか疑問です。
この時代、どこの党というよりは、ダレに票を入れるか?というのが重要なハズなんですけれどね。
時代にあっていない制度だと感じるのは、ワタクシだけでしょうか。

ま、考えたくないヒトには楽だからいいのか。


それにしても連日ニュースや新聞には、「ねじれ国会解消!」のデッカイ文字が一面に掲載されています。
この「ねじれ」というのはいったい何なんでしょうかね?

先日、某ニュース番組で選挙後の有権者のインタビューみたいなモノがあって、とある年配の女性が応えていたのですが、
「いままでは”ねじれ”でアレだったでしょ?だから、モノゴトが早く決まらないじゃない」。。。

一応、ウィキってみると、国会において、衆議院と参議院とのどちらかで、
与党と野党の過半数の割合が逆転している状態のコトを言うんだそうです。

モノゴトがすんなり決まらないコトに対して「ねじれ」というコトバを使っている方が多いような気がします。

ある意味間違ってはいませんが。。。


そもそも、国の大事なモノゴトが決まる場においては、「ネジレ」てナンボ。
「ネジレ」がない方がコワいです。
ベルトコンベア式に法律や政策が決まってしまっては、しっかりと議論ができないってことですから。

何のハードルもなくすんなり決まる状態というのは、
一見イイようには見えますが、国政がアブナい方向へむかっていきやすい。

いまの原発政策の問題なんかが良い例です。
いや悪い例かw。

ダレかがかならず、ソレどーなの?というアンチな意見を持ってないと、
細かい議論ができず、問題点もみつかりづらいワケですよ。


残念ながら、政治政策的にはそういったファシズムにちかいモノの方が効率がイイ。

戦前の日本のファシズムへの流れなんかはそうですよね。
効率の良さばかりを求めてしまった結果ですよ。

右向け右ですから、左を向こうものなら、無理矢理右に向けさせられます。

いまの日本の状況をみると、どうしてもそういう方向にむかっていきやすいのはたしかです。
借金まみれで、経済破綻寸前ですからね。


それにしても、日本人はどうしてもファシズム的な体質なんでしょうな。
ま、いわれるまま動く方が楽ですからね。
分からないでもですけれど。

あとは、モメたくないという日本人特有の”奥ゆかしさ”みたいなモノが、そうさせるのかも。
ディベートが弱いというのも、そこら辺からきているのかな。

多勢に無勢じゃないですけれど、大いなる流れにも逆らいづらい。
逆らえば”村八分”ですからね。

日本は、いつの時代になっても村カルチャーなのかもしれません。


もちろん、ファシズムはイイ部分ばかりではないです。

政策をすすめる効率の良さだけをとると、ワケのわからん政策のせいで、急に自分たちの土地がなくなる!
なーんて某国みたいなことがおこるワケですよ。

そこでは結局南極、最終的に国と民とで「ネジレ」が生じています。


というのがお隣さんの現在の状況で、そんな未来像が見えているにもかかわらず、
「ねじれ国会」解消をよろこぶ意味が分からないですよね。


やはり、個人的には効率的に、迅速に重要なモノゴトが決まってしまうより、
いろんな意味での元の部分で「ネジレ」があった方がいいと思います。


“ねじれ”るには、”ねじれ”るだけに理由があるワケですから。

みなさんは、「ねじれ」と「ネジレ」、、、どのように考えますか?




流線形と比屋定篤子「まわれまわれ」


旅路 良



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