tokyo feature : November 12, 2019 @ 22:08
そうだ!比叡山へ行こう──『比叡山延暦寺でゲゲゲのゲ!』VOL.002
あなたのトーキョーライフに、ちょっとした贅沢をあたえられたなら──。
ココでは、『トーキョーマガジン』がかんがえる、トーキョーのあたらしいライフスタイルを提案していきます。
トーキョーフィーチャー “旅”では、「旅は道づれ世は情け、思いたったが吉日、そうだ!旅に出よう」ということで、ワタクシ、カネコヒデシがじっさいに旅した土地を、独断と偏見をもってご紹介する”旅”シリーズ。
“旅”はココロを豊かにし、叡智を育む。
旅ゆけば、かならずや人生がみえてくるハズ。
そう!人生は”旅”なのです
旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る(松尾芭蕉)
今回は、2021年に伝教大師1200年大遠忌をむかえる「比叡山延暦寺」へ。
計画的無計画無鉄砲な旅の軌跡をお贈りします。
『比叡山延暦寺でゲゲゲのゲ!』VOL.002
ワタクシ”カネコヒデシ”が、勝手気ままにトンデモハップンな旅ライフをお贈りする旅シリーズ『そうだ!比叡山へ行こう』の第2回。
今回は、伝教大師”最澄”によってひらかれた「比叡山延暦寺」へ。
還化されて2021年の令和3年で1200年をむかえ、日本仏教史上のさまざまな宗派を生みだしたまさに”母なる山(母山)”としてもおなじみ。
ココで、やっと今回の旅の目的についてお話しましょう。
伝教大師1200年大遠忌、還化されて、、、つまり”最澄”が亡くなって2021年令和3年で1200年という「延暦寺」は、2012年(平成24年)4月1日から2022年(令和4年)3月末日までの10年間、さまざまな催しを開催中なのであります。
その一環として先日から2019年12月8日まで展示を開催している絵画展、『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展』のメディア関係者向けの内覧会に。
この展示の会場となる場所が、国の登録有形文化財に指定され、通常は非公開とされている「大書院」なのです。
「大書院」自体は、特別な来賓のおもてなしや、不定期での公開はおこなってはいるのですが、こういった作品の展示とともに一般公開するのは初のコトだとか。
そんな「大書院」をこの目で見たい!という思いと、ふるくから「延暦寺」ににつたわる妖怪たちにも出会えるという、妖怪好き、妖怪マニアのワタクシにはまたとない機会!
「妖怪たちに逢いに、、、いや!大書院を拝見しにいこう!」というというのがキッカケなのでありました。
そんなワケで、ノコノコと滋賀県は大津市にある比叡山へ。
野を越え、丘を越え、はるばる来たぜ!「延暦寺」!!
というコトで、「ケーブル延暦寺駅」から、気持ちいい空気ながら険しすぎる山道を足がもつれながら歩くコト約10分。
死ぬ、、、いや!やっとの思いで、「延暦寺」の東塔エリアの入口に到着です。
守衛の方にかなりあやしまれながら、内覧会へ来た旨をつたえ、無事入寺(出家じゃないよ!)。
そんなワケで、東塔エリアのメイン通りを真っ直ぐにススムと、、、ナニやらノボリが。。。
コチラが「大書院」の入口。
奥に見えるのは「延暦寺会館」の建物。
入口に「内覧会会場はコチラ!」ともナニも書かれていなかったので、もどって脇道からはいろうとしたり、何度かウロウロし、不審者なみにあやしい雰囲気を出しつつ、不安になりながら門のなかにはいると、、、
コレがかの「大書院」であります。
もともとトーキョーは赤坂山王台にあり、日本の近代たばこ産業の始祖で、煙草王とも謳われる”村井吉兵衛”の邸宅だったものを、1928年に昭和天皇のご大典記念と比叡山開創1150年の記念事業として移築。
“村井吉兵衛”といえば、国産初の両切紙巻たばこ「サンライズ」を製造し、明治&大正時代の実業家としておなじみですな。
ワタクシをはじめとする、ニコチンマニアの方は、少なくとも彼にお世話になっている、、、と言っても過言ではないでしょう。
そんなニッポンの歴史上最重要人物であった邸宅の設計は、「京都大学百周年時計台記念館」でもおなじみの”武田五一”、棟梁は藤沢市の「渡辺邸」や建築家”岡田信一郎”の岡田設計の「青山会館」を手がけた”小林富蔵”と、近代日本建築の最高峰のふたりによるモノ。
んー、うつくしいですなー。
さて、靴を脱ぎ、受付を済ませ、一歩なかにはいると。。。
まさに明治にタイムスリップしたかのような別世界。
そして、今回の「ゲゲゲの鬼太郎」との作品がならびます。
コチラは「鬼太郎百鬼夜行図」。
巻物が長すぎて、、いちまいの写真ではおさまりませんので、コチラでドーゾ!
どーです?
“砂かけババア”がたまりませんな。
そんな「鬼太郎百鬼夜行図」の後ろの部屋、、、「応接間」には。。。
4つの作品がならんでおりました。
薄暗い感じがかなり恐いですねー。
一番上は、今回のお題の七不思議のひおつ「一つ目小僧」ですね。
作品のこまかーい紹介などは、、、割愛しますが、本展のタイトル『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展』にもあるように、「延暦寺」にはふるくから言いつたえられてきた「七不思議」というのがあって、時に山や信仰を守り、時にヒトビトを戒めてきた伝説のかずかずを、”鬼太郎”と”目玉のオヤジ”、そして”ねずみ男”がウワサの場所を巡りながら、比叡山の妖怪たちに出会うというストーリーなんだそう。
「比叡山の七不思議」については、記事の下をチェックせよ!
さて、会場の奥、「旭光の間」と呼ばれる部屋へとススミます。
「大広間」には、、、
「船坂のもや船」をはじめ、、、
「一文字狸」
そして、「一つ目小僧」と出会った”鬼太郎”と”ねずみ男”。
その奥のには「奥の間」があり、、、
「奥の間」は、いわゆるのプレミアムゥ〜なお方がおつかいになる部屋だそう。
「旭光の間」の展示風景がどんな感じかは、コチラをチェック!
「旭光の間」のおとなり「桐の間」をとおり、「西の間」へ。
コチラは、西側だけあって太陽光がとどいていないので、かなり薄暗い部屋のなかにノボ〜っと妖怪たちの絵画が。
ひとりで観ていると「志村、うしろ!」的に背後にナニかを感じて、、、かなりコワいです。
と、そんな感じで作品の展示が20点。
今回のコレらの作品は、キョートにある「豊和堂」のアートディレクターで絵師の”山田晋也”さんと、友禅絵師の”平尾務”さんが描いたモノ。
しかし、昼に観てもチョット恐いのに、コレが夜だったら、、、あな恐ろしや。。。
とりあえず、作品についての詳細な説明はあえて割愛!
ぜひその目で観てね!ってコトで。
しかし、この「大書院」。
“村井吉兵衛”が、当時、ドレだけスゴい人物だったのかが、この建物を観れば理解できましたよ。
煙草王だけあって、たばこの葉の紋様の桐障子だったり、、、
コチラは、「旭光の間」前。
ガラス戸のむこうは枯山水の庭がひろがってます。
そして、天皇家でおなじみ「菊花紋章」と日本政府の「桐紋」がならんだ、、、玉手箱?漆塗りの木箱。
いつの時代のものか、いつから置いてあったのかは不明だそう。
「奥の間」の天井は、”折上格天井”という様式だそう。
コチラは「桐の間」の欄間に施された鶴の透し彫り。
おそらく桐の一枚板かと。
「桐の間」のガラス戸の向こうは琵琶湖がひろがってます。
ガラス戸に近づいてジッと琵琶湖を眺めていたら、デカいカメムシがガラス戸にブツかってきてビビるというワタクシ。
電灯もいちいちハイカラです。
飾りがスゴい。
そして、「応接間」横の廊下。
欄間は、檜の一枚板に宝相華模様が透し彫りされてます。
この場所の後ろ上方には、、、
ナント!”犬養毅”とな!?
5.15事件で殺害された、「話せばわかる!」でおなじみのトキの首相ですな。
昭和7年に殺害されたので、、、4年前のモノですか。。。
んー、感慨深い。
玄関は、唐破風の車寄せ。
2階もあったのですが、今回は公開せず。
とはいえ、いやー、とにかくいちいちスゴい建物ですなー。
展示作品とともに、建物のコマかい部分も気になってしまいましたよ。
ちなみに、今回の展示を担当された”今出川行戒”参拝部長に、展示についてのおはなしをうかがうコトができました。
ナゼ、「ゲゲゲの鬼太郎」とのコラボレーションだったのか?
「古いものを伝えていくには、つねにあたらしいモノをいれていかなければ伝わっていかないとおもうんですよ。
根本中堂に”不滅の法灯”と呼ばれる灯明があるのですが、1200年もの間、火が消えずに灯っているんです。
それはダレかがつねにあたらしい油を注いでいるからなんですね。
それこそがまさに”伝灯”というコトなんです!」
とのコト。
フムフムとマジメに聞いていると、
「ほら!いまいいコトいいましたよねー!!」
と、今出川氏。
かなりおチャーミングな方でしたよ。
いわゆるの”伝統”とか、”しきたり”とか、そういうものがかなりキビシいところでオモシロいコトができたのは、こういうオモシロいコトを一生懸命にやろうとする方がいるコトがホントに大切なんだなーと、あらためて実感できた次第です。
まさに、”最澄”のお言葉、「一隅を照らす」というコトなんでしょうねー。
と、いうコトで、本展『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展』は、2019年12月8日まで比叡山延暦寺の「大書院」でやっておりますので、この機会にぜひ行って、その目で観てみるコトをおススメいたします。
ちなみに、この旅シリーズ『そうだ!比叡山へ行こう』はまだまだつづきます。
□「比叡山の七不思議」
(東塔エリア)
・01. 総持坊:一つ目小僧
延暦寺東塔に総持坊という修行道場があります。その玄関に、一つ目・一本足で奇妙な僧の額が掲げられています。
この僧は”元三大師(がんざんだいし)良源(りょうげん)”の弟子であった”慈(じ)忍和尚(じにんかしょう)”です。お山を愛し、信念に燃えた聖僧でした。亡くなったあとも、”一つ目小僧”に変化(へんげ)して、「修行僧よ、僧侶の本分を忘れるなかれ」と、修行を怠ける僧を見つけては、手に持った鈴(れい)を鳴らし戒め、お山を守りつづけたのです。
・02. 南光坊跡:なすび婆
現在は石碑が建つのみの南光坊ですが、かつては荘厳な建物がありました。
その昔、ある夜更けに南光坊の門を叩く音がしました。小僧が出てみると、なすび色の顔をした不気味な老婆が現れ、やがてふっと姿を消しました。
怪しげだが、どこか気品のあるその老婆はおよそ800年前、宮中の女官であった頃、生肉を好み、殺生をした報いから魔界に堕ちたのでした。しかし生前から自分の悪業に悩み、信仰をつづけていたので、身は魔界であっても心は比叡山に住むことを許されたのです。
織田信長の比叡山焼討ちの際、大講堂鐘楼の鐘をついて非常の急を知らせてくれたのは、ほかでもないこの”なすび婆”であったのでした。
鐘楼は昭和31年に焼失してしまいましたが再建されて、現在は誰でも撞くことのできる「開運の鐘」として親しまれています。
・03. 船坂:船坂のもや船
延暦寺会館の前の坂道を少し下ると、急な坂が現れます。ここを「船坂」といいます。
その昔、比叡山が女人禁制であったころ、出家し修行僧になった子を持つ母親や、この山に思いをのこしてこの世を去った女性たちが多くいました。これらの亡者が比叡山特有のもやを利用して、参詣のために船でこの坂に訪れては、念仏を唱えていました。
ある時、これを見た僧が後をつけていくと、振り返った亡者と目が合い、途端に失神し、うなされつづけたといいます。
・04. 五智院跡:おとめの水垢離
船坂の途中にある法然堂から、さらに下った五智院跡にまつわる伝説です。
五智院の僧が、夜中に仏間で物音がするので目をさますと、古い位牌がガタガタと動いていました。やがて谷あいから水を浴びる音が聞こえたので、気になり、谷におりてみると、うるわしき美女が水ごりをしていました。
美女は「仏間の位牌は私のものです。魂を比叡山にあずけて修行すれば、幸多き来世が約束されると教えられ、行を積んでいます。僧よ、好奇心のために神秘や尊厳を傷つけてはなりません」と僧に告げて消えたと伝えられます。
(西塔エリア)
・05. にない堂:一文字狸
延暦寺西塔のにない堂に、毎日たぬきばかり彫りつづけている”真弁(しんべん)”という修行僧がいました。
ある夜のこと、突然目の前に巨大なたぬきが現れました。見上げると身の丈およそ10メートル。眉毛が白く一文字に引かれています。「われは昔からここに住む”一文字たぬき”だ。たぬきを愛するのはいいが、あそび心で彫るのは感心しない。千体のたぬきを彫れ。そうすれば、われは山を守りつづけよう」と”真弁”に伝えました。
こうして千体たぬきの傑作は彫られましたが、残念ながら信長の焼き討ちで失ってしまいました。
(横川エリア)
・06. 龍ヶ池:大蛇
昔この池に大蛇が住みつき危害を加えていました。幾多の僧が退治に出かけますが、いっこうにらちがあきません。そこに一人の高僧が登場し呪文を唱え妖怪退治を祈念したところ、高僧の威厳におされたのか、たちまち雷鳴を轟かせながら、巨体に変身しました。そこで高僧が「ではこの手のひらに乗れるか?」とおだてるように手を出したところ、調子の乗った大蛇は、たちまち小さくなり高僧の手に乗りました。高僧はここぞとばかりに握りしめ壺に封じ、見事に退治しました。
その後、大蛇も反省し、横川の地を訪れる人の道中の安全と心願の成就に助力するようになったといわれています。
「その手に乗るな」ということわざは、ここから由来したと伝えられます。
・07. 横川中堂:六道踊り
“恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)”による日本の念仏信仰の発祥である「横川」の地に、およそ400年前、秀吉の側室であった淀君の発願で横川中堂が再建されました。その年のお盆は、僧と村人たちによって、横川中堂前の広場で、盛大な法要が行れました。
僧たちが寝静まった夜中、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道の亡者たちが集ってきました。お香や花を供えて盆供養をして、やがて踊りはじめました。踊りは夜通しつづき、どれもこの世のものとは思えない楽しさです。やがて夜が明けホトトギスが鳴き始めると、何事もなかったように静かな横川の朝がやってきたのでした。
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