TYO magazineトーキョーマガジン

Archive

 

rss 2.0

Interview : August 3, 2011 @ 15:42

『しぶや 花魁』1周年記念──ヴィーナス・カワムラユキ インタビュー(中編)



渋谷は道玄坂の”ホッと”スポット『しぶや 花魁』が、2011年6月で開店1周年をむかえた。


1階は立ち飲みスペース、2階はテーブル席。
お酒や料理、おつまみにこだわりがある普通の居酒屋なのだが、DJやライブ、さらにはトークショウなどのさまざまなカルチャー的イベントも開催している、じつはカルチャー発信基地なのだ。


ひきつづき、『しぶや 花魁』のプロデューサーで、作詞家で作家、そしてDJとしてもお馴染みの”ヴィーナス・カワムラユキ”さんに、『花魁』についての話題を中心に、いろいろとお話を訊いてみた。





☆:ヴィーナスさん自身は、もともとは作家というか、作詞家というか、そういう感じを目指していたんですか?


私はもともと18歳で家出をして、フラフラしていたんですけれど、、、クラブキッズというか、派手な格好でクラブに遊びにいくのが好きだったんです。それで知り合った大人に、「イベントをやりましょう!」って誘われて、イベントのアイコンみたいなことをやるようになったんですよ。
その後、企業イベントなどもやるようになって、それからは真面目に仕事を3~4年くらいつづけて、22くらいのときに会社にもして、当時まだ早かったユーロトランスのDJやアーティストを日本に紹介していたのですけれど、その後、ブームが来てしまい、ビックスポンサーがついちゃったりしてね。


☆:そういう時代でしたね。


『Sound Collection』というイベントのディレクタ—をやっていたんですけれど、アテネオリンピックのときに開会式のセレモニーでオープニングDJをつとめた”DJ Tiesto”は、じつは初来日をウチがプロモートでしていたり、”system F”の”Ferry Corsten”もそうなんですけれどね。そんなプロジェクトを日本中でやっていました。
CDも出したんですけれど、特に褒めてくれたのは(石野)卓球くらいでしたけどね(笑)。それが香港の『モトローラー』のキャンペーンソングになって、そこで初めて世界を見始めたんです。初めて香港に行って、ラジオ局とかテレビ局を回りました。
その時は、自分の語学力の無さを実感しましたね。海外から帰ってきて、DJを始めたんです。それがちょうど2002年くらい。いまでこそガールズDJブームですけれど、当時は少なかったでしたよ。
その後、2003年に『ラブパレード メキシコ』に呼んでもらったのをキッカケに、そこからパリとかイビザ、イタリアなど、海外からのDJオファーが多くなって、頻繁にプレイをしていましたね。
でも、体力的にはキツくて、体を壊しちゃったんです。
それで日本に帰ってきて、『ドレスキャンプ』の東京コレクションのショウの音の演出をやったり、『ルイヴィトン』のマドンナとスティーブン・クラインの展覧会でDJをやったり、そういうファッションの仕事をやるようになりました。
その後は、ファッションコラボとか、WEBマガジンのディレクションとか、広告のイベントとか。。。まあDJ的感覚を生かした、クリエイティブディレクタ—みたいな感じのことをやっていましたね。





☆:トランスのイベントは、いつまでやられていたんですか?


トランスは新しい音楽と思っていたのですが、某社がフックアップしちゃって、面白くなくなっちゃったんです。それで、プイっと逃げちゃったんですよねー(笑)。
その後は、”(石野)卓球”に呼ばれるままテクノの方に行って、それでいまの人間関係とかが出来上がったんです。それで4~5年過ごしてから、2007年に本を、小説を出したんですよね。


☆:文章はいつごろから書いていたんですか?


もともと書くことが好きで、ずっとブログを書いていたんですよ。当時、WEB小説がブームで、私もWEBで書いていたんですけれど、書き終わったら出版が決まって。。。
私、安井かずみさんがすごく好きなんです。
14歳のときに図書館にあった彼女のエッセイに感銘を受けて、、、当時の私の趣味は、マンチェスターサウンド、ハウス、テクノと安井かずみだったんですよ(笑)。
安井さんを掘り下げていくと、キャンディーズの「危い土曜日」とか、沢田研二とか、日本の王道の歌謡曲じゃないですか。


☆:日本の名曲といわれる歌謡曲の歌詞には、かならず安井さんのクレジットが入っていますよね。


なんといっても加藤和彦さんのヨーロッパ三部作。
あの世界観に大変な感銘を受けました。
安井さんの歌詞って、ヨーロッパの話が多いんですよね。「カリブ録音」だったりとか、「パパヘミングウェイ」とか、「あの頃、マリーローランサンと」とか、、、あの辺のムードが心から好きだったし、完璧に憧れていたんですよ。それで、本のプロモーションの時に、ソニーミュージックの方に誘われて作詞家を志すようにになったんですね。
その時は、「海外からいろいろやって帰ってきて、作詞家になれるなんて安井かずみさんっぽいかもしれない!」って思いました(笑)。


☆:作詞家って、簡単にはなれないというか、自分がバンドをやっていないとなれないし、作詞だけだど、いまの時代って若い世代にはいないですよね?


そう、いないんです!
私、「ソニーミュージックパブリッシング」の専属契約作家になったんですけれど、作曲家はいっぱいいるんですけれど、作詞家は第一号だったんですね。
ありがたい話しですけれど、そうなったときに、なぜかアジアの仕事が多かったんですよ。アジアンポップスに古き良き日本の歌謡曲と、エンターテインメントのカタチを見たんですよね。ある種、めぐりめぐって安井さんがやっていたようなことの焼き回しなのかなって。そう思ったら、ココにいるのも間違いじゃないなと思いました。そこからアニメの方に呼んでもらったり、いろいろとやっていて。。。
だから、いまの自分としては向田邦子的スタンスなんですよね(笑)。


☆:向田さん(笑)!?





でも、向田邦子さんの世界観ってちょっとウェッティで得意じゃないんですけれどね(笑)。
やっぱり安井かずみさんが好き。安井さんは「人生の副産物が作品になる」と言っておられていてので、自分も人生を豊かにしようと思って、、、「キャンティ」にも憧れたんですよねー。シェフもすばらしかったし、「ベビードール」という『イブサンローラン』を日本に初めて紹介したブティックがあったり。サロンというか、カルチェラタン的な、日本のあたらしい何かが生まれる、YMOを結成する密談が行われていたりするような場所。そういう場所にこの『しぶや 花魁』もなれたらいいなーなんて。


☆:いやー、すでになっているんじゃないですか?


確かに面白い場所になってきたと思うし、目指していた方向は間違いじゃなかったと思います。
2011年版で、自分なりにそれをやれたらいいな。


☆:それまでは飲食はまったくやられていなかったんですね。


ないんですよ。
ただ、いろいろな国でレストランに行ったり、ラウンジとか、クラブ、いろいろな慣習を見てきて、体験してきたから、自然とポイントポイントを押えていたのかもしれないですね。
あとは安井かずみさんの「空にいちばん近い悲しみ」というエッセイ集がすごく好きなんですけれど、そのエッセイの世界がうまく表現できればいいかなって。飲食業は、なかなか会えないヒトにも会えるから、面白いですよね。
それに、詞を書いたりするタイプのヒトって、やっぱり家にこもっちゃう。
だから、外に出る口実がほしくって(笑)。


☆:いろいろなヒトが遊びに来て、ちょっと呑んで帰るみたいな場所っていいですよね。そういえば、個室にはしなかったんですね?


自分が閉じ込められるのがイヤなんです。
「だったら家でいいや!」ってなっちゃう。
まさに、”PYG”の「自由に歩いて愛して」ですよ。
『しぶや 花魁』は飲食店だけれど、それだけではないんですよ。


☆:なるほど。




(後編につづく)






『しぶや 花魁』
オフィシャルHP:http://oiran.asia/

1周年企画イベントなどの詳細はコチラ
http://oiran.asia/cluboiran/

『しぶや 花魁』twitter
http://twitter.com/oiran_shibuya/




ヴィーナス・カワムラユキ



DJ&プロデューサー、Sony Music Publishingの専属契約作詞家。
2001年「灼熱」でCDデビュー後、バレアリック・スタイルのDJとして世界各国でプレイ。ドレス・キャンプ、ルイ・ヴィトン、マドンナ+スティーヴン・クライン、ヴィダル・サスーンなどのショー音楽演出やパーティにて活躍。
2007年「アスファルトの帰り道」(ソニー・マガジンズ)の発売を機に、作家活動を本格的にスタート。
J-POPに限らず韓流から華流アーティストの日本語詞、アーティストの感性を引きだし共に詞を制作するリリック・ディレクターとして多くの作品に関わっている。
現在、近代日本的飲食音空館「しぶや花魁」を運営中。

公式サイト:http://vky.jp/
twitter:http://twitter.com/venuskawamura/



Comments are closed.

Trackback URL