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tokyo feature : December 9, 2019 @ 22:03

そうだ!比叡山へ行こう──『比叡山延暦寺でゲゲゲのゲ!』VOL.004


あなたのトーキョーライフに、ちょっとした贅沢をあたえられたなら──。
ココでは、『トーキョーマガジン』がかんがえる、トーキョーのあたらしいライフスタイルを提案していきます。


トーキョーフィーチャー “旅”では、「旅は道づれ世は情け、思いたったが吉日、そうだ!旅に出よう」ということで、ワタクシ、カネコヒデシがじっさいに旅した土地を、独断と偏見をもってご紹介する”旅”シリーズ。


“旅”はココロを豊かにし、叡智を育む。
旅ゆけば、かならずや人生がみえてくるハズ。
そう!人生は”旅”なのです


旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る(松尾芭蕉)



今回は、2021年に伝教大師1200年大遠忌をむかえる「比叡山延暦寺」へ。

計画的無計画無鉄砲な旅の軌跡をお贈りします。




『比叡山延暦寺でゲゲゲのゲ!』VOL.004


ワタクシ”カネコヒデシ”が、勝手気ままに”トンデモハップン(飛んでも八分)”な旅ライフをお贈りする旅シリーズ『そうだ!比叡山へ行こう』の第4回目。


今回の目的は、伝教大師”最澄”によってひらかれた”母なる山(母山)”、「比叡山延暦寺」にて、開催していた絵画展『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議』展のメディア関係者向けの内覧会への強行(?)取材。


「比叡山延暦寺」では、”最澄”が還化されて2021年の令和3年で1200年をむかえるにあたり、現在、さまざまな催しを開催中で、『ゲゲゲの鬼太郎と比叡 山の七不思議』展はその一環として、普段は公開されていない「大書院」にて、2019年12月8日まで開催していたというワケなのです。



そんなワケで、絵画展『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議』展の勝手な取材も無事終了し、腹ごしらえもできたトコロで、さっそく国宝「根本中堂」へ。





「根本中堂」は、現在、平成28年(2016年)から約10年の時間をかけ大改修中。

というコトで、現状、こんな感じ。

改修工事は、国宝の「根本中堂」ならびに重要文化財の「廻廊」。

とはいえ、拝観は出来るので、建物の中へと入ると。。。





改修工事の様子が、、、





こんな感じで分かるように、、、





なっとるワケです。

しかし、スゴい屋根ですなー。

残念ながら、撮影はココまで。

本堂のなかに入ると、ほぼほぼロウソクの光のみで暗闇にちかい感じ。

そして、ちょうどワレワレと目が合う場所に「薬師如来像」が安置されています。

例の1200年間、一度も消えることなく輝きつづけているという「不滅の法灯」も、もちろん灯っておりました。


建物の内部のコマかい部分をみると、防犯カメラがキチンとあったり、浅草の「浅草寺」もそうなのですが、意外と近代化されているんですよねー。


本堂から、「回廊」をグルッとひとまわり。

「回廊」の途中には全国から贈られてきた子どもたちのさまざまな絵や習字なども展示。

そのむかしから寺子屋なんてカルチャーがありましたが、寺はさまざまなカルチャースクールだったワケですなー。

そんなワケで、元の入ってきた入口に到着。

まさに「回廊」なワケです。


さて、「根本中堂」を出て、元にきた道をもどると、右側に階段が。

ソコを上ると、、、





「鐘楼」が。

コチラ、一打50円で鐘をつくことができます。





というコトで。





うーん、、いいヒビキですなー。

しかし、この「鐘楼」。

50円なのはいいですが、両替機もナニもないので、「50円玉や、50円を持ってなかったらどうするんだろ?」とか。。。

そんな、妄想はさておき、「鐘楼」の屋根ひとつみても、装飾に手がこんでまして、チラっと上を見ると、、、





キジですよ。

ま、鐘も突いて、お願いゴトもおわったところで、そこから急な坂道をのぼっていくと。





コチラは、「戒壇院」。

廃墟かとおもうくらい、あまりにもひっそりとしたたたずまいなのでアレなのですが、じつはココ、僧になるための必修の条件である大乗戒(戒律)を受ける堂。

年に一度だけ行なわれる『授戒会』のためだけに使用される、「比叡山延暦寺」でもっとも重要な堂のひとつなのです。

この建物は、1678年(延宝6)に再建されたモノで、国の重要文化財。


なのに、あまりにもひっそりしすぎていて、観光客がほとんどいないという、、、なんとも残念。

急坂の途中という場所もあるのかもですが。

みんな「根本中堂」ばかりに目がいっているのかもしれませんが、、、映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』での”キリストの聖杯”のはなしをおもいだしましたよ。

聖杯というと派手な金ピカのものを思いうかんでしまいますが、キリストは大工だったというコトで、まったくもって目立たないボロボロの木の器だったというはなし。

重要なモノほどヒッソリとしたたたずまいで、目立たないものなのかもしれませんね。

ま、そんなはなしはさておき、心臓ヤブリの急坂を比叡山頂上方面に登りつづけると、、、





「阿弥陀堂」に到着。

コチラは、1937年に建立された、比叡山延暦寺のなかでも比較的あたらしい建物。

その名のとおり「阿弥陀如来」が安置されております。

そして、その横には、、、





「法華総持院東塔」。

1980年に再興された「法華総持院東塔」。

もともと”最澄”は、日本全国に6か所の宝塔を建てて”日本を護る計画”をしていましたが、コチラの東塔がその中心の役割をしているとか。

それにしても、だいぶ山の上ですよ。。。


ココから「西塔」方面にむかいます。

来た急坂を下り、西方面にいくと守衛所が。

守衛さんに取材の旨をつたえ、西塔方面へ。

方向サインには、10分程度と書いてありましたが、野を越え、山を越え、、、





イシバシを叩いてわたると。。。





「山王院」なる建物が。

“最澄”は、弘仁9年(818年)に「止観院」「定心院」「惣持院」「四王院」「戒壇院」「八部院」「西塔院」「浄土院」とともに、この「山王院」を九院として定めたそうです。

んが、しかし、いろいろ調べても、いつごろ建立されたものなのかが分からず。

入唐八家のひとり、”智証大師円珍”(814~91)の住房だったとか。

ミステリアス感ハンパない建物です。


ちなみに、ココはまだ「西塔」ではなく、かといって「東塔」でもないという、なんとも不思議な立ち位置。

ココから下り坂に。





まったく下が見えない、まさに地獄への階段か!?と思えるほどの下り坂。

下りきると、「浄土院」の門が見えてきます。

門のむかい側は、”穴太衆(あのうしゅう)”による、うつくしい石積みの石垣が。





「穴太積(あのうづみ)」というのですが、コレがまったく手を加えていない石を積んだだけとはおもえないですよねー。





“穴太衆”といえば、「安土城」の石垣をはじめ、近年は海外でも石垣の施工をしているとか。





あまりの石垣のうつくしさに、あっさり「浄土院」の写真を撮りわすれてしまいましたが、「浄土院」は、弘仁13年(822年)に入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)に安置した場所。

塀に囲まれたなかは、まるで天国のようなうつくしい庭がありましたとさ。


さて、そこから歩くコト10分。

やっと「西塔」の入口とおえる守衛所を発見。

ソコからさらに登ったり、下ったり、尋常じゃないホドの汗をかきながら、山道を歩くコト5分。

やっと目的の建物が見えてきました!





「にない堂(常行堂・法華堂)」です。

どうしてもココが見たくて、、、野を越え、山を越え、来ましたが、とにかく汗だくです。


おなじ形をしたお堂が左右にシンメトリーな感じでならび、その間を廊下がつないでいるという、かなり不思議な建物。

基本的に、修行僧のための建物なので、内部は非公開。

しかも、現在も修行中なので、建物のまわりは私語厳禁。





ススーっと廊下の下をぬけて、石段をおりていくと、、、





西塔の本堂といわれる「釈迦堂(転法輪堂)」に到着です。

谷間なのに、だだっ広い空間がポッコリと。

延暦寺に現存する建築中最古のものだとか。

コチラにご挨拶をすませ、帰りの時間も迫ってきたので今回はココまで。


それにしても、「比叡山延暦寺」、、、コレが予想以上に山でオドロキましたよ。





アレだけラクだった石段の下りも、帰り道は心臓やぶりの階段へと早変わり。。。

たかが20分、されど20分の道のり。


野を越え、山を越え、やっとのコトで最初に入った「延暦寺」の入口に到着。





すでにヘトヘトです。


ココからさらに歩いて5分。

やっとの思いで元の「坂本ケーブル」の「ケーブル延暦寺駅」へ。


あまりの披露に足がモツレましたが、、、、





琵琶湖のうつくしい風景が、カラダを癒してくれました。





この風景とかね。

そんなワケで、暗くなる前にケーブル鉄道に乗り込み、今度は上りとは逆側の風景をドーゾ!





約12分間の乗車の末、「ケーブル坂本駅」に到着。

さらにバスにユラれて、やっとこさ比叡山坂本駅に。





言わずもがな、滞在先の京都についたコロには、ほぼほぼ虫の息。

一丁前に着ていった黒いシャツには、怒濤のように吹きでた汗が乾いて塩化。。。

ハタからみると、「ドレだけ運動してきたヒトやねん!」と思われてもおかしくない状態でしたよ。


それにしても、今回の「比叡山延暦寺」への旅。

観光ですら山の上り下りがけっこう大変なのに、この山を切り開いた伝教大師”最澄”は、ホントスゴいヒトだったんだなーと。

そして、その後に山にはいった修行僧のみなさんも大変な苦労をされて、現在の「比叡山延暦寺」をつくりあげていったんだなーと、あらためて実感いたしました。

まさに、母なる山!


『ゲゲゲの鬼太郎と比叡 山の七不思議』展は残念ながら終了してしまいましたが、「比叡山延暦寺」自体は一見の価値があるとおもいますので、ぜひ一度、その目で見てみるコトをおススメしますよ。







そうだ!比叡山へ行こう──『比叡山延暦寺でゲゲゲのゲ!』おわり


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>>>『ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展』についてはコチラ



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